ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

うっかりドライバーのリーセ・フィヨルド

仮にも考古学者を目指す私、ノルウェーへは史跡を訪ねにきたはずであった。
それが今回は予定外な地域にお邪魔する羽目に・・・。
 
ベルゲンを訪れた際、前回行けなかった博物館や史跡がある。
カミッラと一緒じゃあ、カフェでカプチーノを飲む1000の方法で
時間泥棒さんが現れるため、無駄に徘徊するだけで終わってしまう。
 
だから今回は行きたい見所を調べて、ドイツ人並みに計画を練っていった。
 
はじめに
 
ベルゲンを知らない人へ:
概要は西フィヨルド南部、ホールダラン州の州都で33県ある州の県庁所在地
ノルウェー第二の都市、ベルゲンはイギリスだったらリバプール、イタリアだったらナポリ
日本だったら大阪にあたる、固有のアクセントのノルウェー語を話し、
土着文化や土地に対する愛着が強く、
ノルウェー人である前にベルゲン人であることを誇りに思っている・・・らしい。
降水量の多さはヨーロッパでも随一、雨の降らない日は無いとされ言われている。
世界遺産に登録されている木造倉庫群や音楽家、グリークの出身地として、
少しマニアな観光名所である。
 
もっと要約すると西ノルウェーの地方都市、人口の割には、雨具の売れ行きと
おしゃべりでしゃばりで酔っ払いが多い街。
 
さて、今回は少し野望をだして、ベルゲンの隣県、オス(OS、発音は”ウシュ”の方が近い)
にある、チトー派修道院リーセ・クロステルの遺跡を訪問。
 
郊外にある遺跡は雪に埋まっているであろう、
出発前にカミッラから借りた、スキー用の防水ズボンをはいて準備。
 
まず、リーセフィヨルド行きのバスを探すが、
バス停が見あたらず、オス行きのバス停で若い娘に尋ねる。
無事にバスに乗ったものの、運転手から乗換えがあることを告げられる。
乗り換え地点着いたら教えてくれるよう頼み、
少しずつ雪深くなる景色を楽しんでると、
近郊の島に行くためのフェリー乗り場が見えてきた。
その近くの丘に着くとバスは停車し、少しだけいた乗客も一斉に降りていった。
"すいません、ここ何処ですか?"
と、尋ねる私を見た運転手。
 
”あっ、忘れてた!”
 
・・・・・ここは何処だろう、天気が良く、フィヨルドに浮かぶ小さな島々が見える。
間違えて着いたのに素敵な景色が見れて良かった。
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来たバスでベルゲンへ折り返す途中、今度は本来、
乗り換えるはずであった停留所で降ろしてもらった。
 
停留所には若中年、勇気を出して現在地とリーセクロステルの情報を聞く。
私が降ろされたところは、ファーナという地域で石造りの教会が堂々と建っていた。
リーセクロステルはマニアな史跡でらしく、知らなくて当然だろうと覚悟していたのに
親切にも降りる停留所まで教えてくれたが、このおっさんも間違った情報をくれていたのだ。
 
バスを持ってる間、ふと思ったのがクロステルは修道院、リーセというのは地名だろう、”遺跡”という単語をつなげた方が話が通じるんじゃあないかな?
次は運転手に"リーセ修道院跡"と告げてみよう。
 
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ファーナの教会、子供がそりで遊んでいた。
30分ほどでバスが来て、今度こそリーセクロステルへ!
 
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 そして、バスに乗ること30分。
またもや,ここは何処?
 
"リーセクロステル?このバスの終点にそういう名前の学校があるよ、
そこでいいのかな?
修道院跡というのは聞いたこと無いな、学校のことだよね?"
 
修道院は学校も兼ねていたけど、仕方なくまた終点で降り、
学校の中に入り人を探す。
英語教育の始まっていない子供と犬と掃除婦さん。
遺跡はずいぶん手前にあるそうだ。
バスの運転手が、この遺跡を知らなかったことは恥だと言っていた。
 
ベルゲンへ戻るバスが5分後にあり、途中で遺跡に降りたら、
夜の九時まで瓦礫の修道院跡にいることになる。
暗くなったら辺りには街灯すらない、雪の光で観察するのは難しいから、
 
通り過ぎて終わった。
 
帰りのバスの運転手さんは親切で、遺跡の場所も知っていたし、
ベルゲン行きのもっと便利なバス乗り場で降ろしてくれた。
5分もしないうちにバスは来て、私の憧れアドベンチャーは終わった。
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ベルゲンに着くころには日は暮れ始め、きれいな青い空を眺めて
少し悲しくなった。
この街に自分の帰る家がないことが無性に辛かったが、
カフェイン不足のせいにしてコーヒーを買いに走った。
このとき買ったコーヒーは珍しくまずくて気分が悪くなった。
 
うっかり運転手と勘違い旅行は予定外だったけど、
順調に着いたら見ることのできない、リーセフィヨルドが見れて
とても楽しかった、修道跡はまた次回ということで、
まだまだベルゲンを(論文とか、勉強のためとかで)訪れる理由は
尽きることが無い。