Ravello(ラヴェッロ)・・・・、
セレブやぶち金持ちが大好きなアマルフィ海岸の一角に位置し、
崖に設けられた岩盤を繋げて作られた土地である。
まあ、いつ、敵が押し寄せるか分からない中世に作られた
不思議な趣味の隠れ家的、観光地。
サレルノからはバスを2つ乗り継ぎ、そのヘアピンカーブの急さから
酔い止めの服用がお奨めだが、そこまでして行く気もないのに
頼まれてしぶしぶ訪問・・・・。
ラヴェッロの街に着くと、まずは広場に出る
ここからルーフォロ荘とチンブローネ荘という、中世より大人気だった2つの健康ランドに続く。
健康ランドと形容するのは
ルーフォロ荘に関しては2,3の温泉施設があり、365日退屈を凌げるよう、
客室のデコレーションを全て違うものにしたり、庭園では季節の花を切らさないよう工夫をした施設だったから・・・・。
ルーフォロ荘の入り口。
入場料6ユーロ?!
高いねー、大学の学生証、
なんで忘れちゃったのかな?
でも、ここでは学割はないそうだ、
ケチ!
一緒に行った方のリクエストで
こちらは入り口のみ拝見。
私はこっちの方が興味深かったんだけどね。
ルーフォロ荘を遠くから望む。
松の木とバックの岩山、
手前のブドウ棚が南国ムード。
考古学の好きな方だけに少しだけ解説。
こちらの別荘、13世紀に東方貿易で成金になったニコラ・ルーフォロが
そちらの趣味で建てた、アラブ・ノルマン様式とエステを備えたものである。
フランス王家、アンジュー家の支配していた当時、
街をフランス風にする運動が起こり、東方趣味はほとんど破壊されてしまうというご時勢だった。
それにもかかわらず、こんな別荘を建てることができたのは、
かなりの借金をしていたそうだ。
これでは王様シャルルも制裁を加えるわけには行かない。
マグレブ陶器に代表されるように、東方趣味は当時の流行であり、
その品物を持つことはステータスであったため、
その貿易により、お金持ちとなったルーフォロ一家がここぞとばかり、
建てた別荘である。
旅行で立ち寄った者たちも、こちらで数ヶ月の滞在を楽しんだということだ、
ゲストはほとんど、外国からの商人や貴族の息子たち。
中世以降、16世紀以降は政治もひと段落するため、
イギリスやフランスからも、この世の天国を満喫しようと
わざわざ、こんな辺鄙な土地まで来ていたそうだ。
皆さん、このときから南好き。
ついでに、12世紀に"教皇の目の上のコブ"とまで呼ばれた
俗世の権力者、ドイツで実質的な最高権力を誇っていた
ホーエンシュタイン家も南イタリアが好きでたまらず、
自分の息子を36歳のノルマン人(当時の南イタリア政権継承者)
の姫君と政略結婚させた、赤ひげフリードリッヒも
現在におけるドイツ人のイタリア好きを
既にこの時代から代表している。
こちらはルーフォロ荘から小道を少し歩いて行く
チンブローネ荘。
入り口を入ってすぐ、発券場の横にある
モザイクと柱の模様が東方趣味な
パビリオン?多分・・・。
アマルフィの大聖堂内にある、
天国の回廊を思い出す、
時代的に、こちらの方がもう少し後。
地球が丸く見える展望台。
この建物の中、
6ユーロも払って入るのに
見るのはただ、ただ、
展望台と庭。
複雑な地形に作られた段々畑、
奥の岬にはノルマン人が建てた見張り塔が見える。
考古学に付き合ってくれるという方へ
この辺は中世時代、
アマルフィ海洋共和国でもあったため、対サラセン人対策として
特に海に見張りを効かせていたが、その先を北へ進んでいくと
海流の急なソレントとカプリ島の海域に出てしまうため、
そこで自然の力により沈没してしまうことも多かったそうだ、
船が沈められていたため、人魚伝説が残っている。
未だにこの近郊には人魚を祭った祠や聖域がある。
そういう写真を撮って載せたいけど、そこまで行くのは船が必要かな?
17世紀のグランド・ツアーブームで
イギリス人貴族が滞在したこの地は
庭園の手入れが良くされている。
この庭園、色使いが南国っぽくなくて胸キュンだけど、
中世らしさには欠けるかな?
近くには噴水やちょっとした彫刻も見られるが、
どれも既にバロック様式。
ちょっと太めな天使の怖い無表情
そして、口から水が出ているとか、
そういうオブジェです。
現在、お天気が優れないので
海の色は透明感のない緑だけど、
お天気のいい日は
こんな感じで青い。
ここ数日は小雨が降っては止み、
止んでは降って・・・、
まるでベルゲンみたい:-)
帰り道、車の渋滞にあい、イライラしていたところ、
原因は山羊さんたちによる通行止め。
これなら仕方ないね。
私の大学でもこれが原因でよくバスが遅れる。
南イタリアファンにはたまらないであろう、
ラヴェッロの風景でした。
私はこんなところより・・・
こちらに心を奪われる。
雪とベルゲン!