ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

陶器VSガラス、かぶき者なノルマン人

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こちら、11世紀頃、南イタリアに居座ったノルマン人、ルッジェーロ2世のマント。
真紅の布に金の刺繍、モチーフはトラ。
 
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マントの持ち主、ルッジェーロ2世
ナポリのレアル王宮の彫刻より
 
 
 
 
活字が好きな方へ
 
ノルマン人とは:
 
ノルマン人の起源はデンマークノルウェーバイキングといわれている。
最近ではノルウェー起源説が有力である。
 
フランスのノルマンディに公国を設けた創始者ロロは
ノルウェー、オールセンの出身説が有力であるのだが、定かではない。
(その辺りを調べようと前回のノルウェー訪問時に
鉄道も通っていない辺鄙な街まで行ってきたんだ!)
オールセンは1905年の火災ですべてが焼けてしまったため、
今のところ調べるすべはない。
 
ノルマンディの小さな村、Hautevilleを領地としていた地方貴族の家族は
温暖で過ごしやすい新天地を求め、船で南イタリアへとたどり着く。
南イタリアにたどり着いたのは十字軍遠征に参加するため、
便利な立地条件であったからだとされている。
 
その土地が気に入ったHauteville一家は
そこで破壊と奪略、政略結婚で南イタリアシチリアを征服し、
両シチリア王国を作り上げた。
 
両シチリア王国、イタリアの半分と躓いた石ころ
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ダイジェスト版
 
ノルマン人とは:
 
転勤先のフランス北部に満足いかないオートヴィル一家は
もっと条件の良い土地探しを始める。
温暖で食事の豊富な南イタリアが気に入り、
地元民の反感を買いながらも同じく侵略者であったサラセン人を退治し、
なんとなく、その地域全体の英雄となる。
 
よって南イタリアを統一し、その支配権を握った。
 
 
そういうわけで、ノルマン人は破壊も奪略もしたが
文化の受け入れにも積極的で、特に中近東の文化に対してかなりの関心があったと見られる。
 
かぶき者な極彩色で彩られた品物や
中近東から持ち込まれたであろうモチーフや
やりすぎの装飾、ノルマン人に暗い国防色なイメージの中世は存在しない。
 
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シチリア、モンレアーレの大聖堂
 
石造りの天井技術はなく、
木造の骨組みが見える三脚天井だが、
隙間のないモザイクとアプシスのドーム部分には
洗練さに欠ける大きすぎるキリストのモザイク・・・、
金箔の装飾には民衆の血税が!
 
 
 
 
 
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両シチリア王国に最初に首都がおかれた
 
こちらはサレルノ大聖堂にあるモザイク。
 
モザイク自体が東方趣味の技術である。
この大聖堂にはライオンの置物にモザイクの説教台、
カノッサの屈辱で名高い叙任権戦争時の教皇グレゴリオ7世、
聖マタイにアンジュー王家のマルゲリータ女王の墓まである。
 
余談だか、マルゲリータ女王の墓は乙女心にかわいい
星と天使と綺麗な水色をした棺おけだ。
 
 
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ケルン出身のヒルデブランドことグレゴリオ7世
ザクセン人の暴動からノルマン人に助けを求めて
 
 
イタリアで発掘されたガラス製品についてまとめていると、
中世前期にはローマの消滅(政治や文化、技術面を含めて)にもかかわらず、
少ないながらもグラスの製造が行われてきた。
10世紀までは需要と供給、デザインと新イタリア在住者(ゲルマン民族)に合わせて
それなりに生産されていたものが、11世紀になると急に減少する傾向が見られる。
 
 
参考程度に・・・中世におけるガラス作品
 
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←ゲルマン要素の濃い、ブルーの角グラス。
酸化コバルト利用か?
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室内照明としてのガラス→
真ん中からぶら下がる逆三角のものは
ガラス製のランプで
水の上に数センチほど注がれたの油に点火し、
灯りとして利用していた。
 
 
 
さて、なぜガラス製品の生産が減少したのか?
 
それは陶器の生産が増え、食器として用いるのにガラスよりも陶器の方が好まれたためだ。
 
中近東の陶器は当時のテイスト、特にノルマン人にはたまらない派手な色使いに
職人をシチリアに呼んで工房を作ってしまったほどだ。
 
10世紀を過ぎる頃、イタリアの陶器は艶出しや彩色の技術が高くなった。
それにより、派手なものを好む元北方民族は少々慎ましいガラスの食器よりも
多色使いに細かい表現のきく陶器で食卓を飾っていたようだ。
 
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ラコペーソレの出土品、ノルマン人より少しあとの時代のものだが、
こんな感じの食器で食べてました。
 
 
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こちらは先日旅行に行ったターラント
出土品、少々色があせてしまっているが、
雰囲気だけは伝わるかな?
 
現在のイタリア、特に南部の陶器工房
シチリアのカルタジネ、
サレルノ近郊ヴィエトリなどの工房で
生産される陶器の派手な色使いは
ノルマン時代から続いていたものであった!
 
 
 
 
 
 
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こちらも同じく、ターラントのもの。
モチーフもつた模様や、魚、点々模様に
ストライプに幾何学模様と東方チックな
筆使いが特徴。
 
使われている色彩も地域によって
異なるが、ターラントの場合はブルーの
表現がないようだ。
 
逆にカラブリア産のものは赤や
褐色が欠けている。
 
 
そんなわけで、ガラス製品の需要は教会など、
ミサで使うワインやお香などの保存容器として生産され、
芸術品としては、あまり重宝されることがなくなった。
 
特に南ではその工房の数も少なく、現在のところ、
ヴォルトゥルノの修道院に併設されたものしか
見当たらない。
修道院併設の工房では勿論、院内消費用に作られたガラス容器、
上記の通り、芸術品としてではなく、生活必需品としてのガラスであった。
 
 
当時の派手好きには陶器を、機能性の上ではガラスを!
 
 
 
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最後に、近所のお城、ノルマン人による沿岸警備用。
お城の設計は素晴らしいけど、これを恐ろしく彩ることまではしなかったのね。