ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

オスロでもイタリアは付いて回る

 
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お外、晴れてます!
気温は14℃の晴れの日、起きた瞬間から行くところは決まってます。

海ですよ!

オスロで泳ぐと言ったら、フェリーで15分くらいのホヴェ島にする?
それとも
野外民族博物館やバイキング・シップ博物館のあるビュグドイにする?

“もっと近いところにビーチはある!”

と言い張ったカミッラに連れられて、
徒歩で5キロくらいの“海辺”に行くことになりました。

パリのモンマルトルを思わせる並木道があるハイソな地域
(元々住宅街を緑だらけにしているオスロではダサい界隈)、
そして、ビジネスタウンっぽい中心街を抜けて行くと
なんだか、すっごく郊外っぽい幹線道路に出ます。

その幹線道路を進むと森が・・・
海に行きたいのに、奴の口車に乗せられて森に連れてこられたんだろうか?
と、ほんとうは怖いグリム童話のような気分になる私の目の前に
イタリアでよく見る、郊外にあるハム・チーズの店が・・・
カミッラと中に入ると、匂いがイタリアの店、
かび臭さと発酵臭さと畜産場っぽい動物の匂いです。
イタリア人経営のイタリア産高級畜肉、酪農品店でした。

サンドイッチを注文しようとすると、
“昨日イタリアから戻ってきて、今日は祝日だし、パンは用意してないんだ。
妻がそういうのに全く無関心で、品切れ中なんだよ。”

・・・いいなぁ、こういうの。

期待していたサンドイッチが食べられないのに
幸せな気分なのは、“儲けること”に必死でない生き方を
垣間見るからだと思います。

幹線道路から森へ入ると、海の匂い。
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海は近いんだろうが、ここはこんなに緑だらけじゃないか?!
すれ違う人たちも、脇の下が汗でびっしょりの服を着ているし、
ランニング人間やサイクリング人間もいる。
海の近くで、重力に逆らって運動ですか?
私なら浮力を利用した水泳をするぞ。


木の間を歩き続けていると、いきなり目の前に開けてきたのは
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クルーザーの港とビーチです。
子連れの家族も多く、早速砂浜に降りようとすると、
カミッラが泳ぐのは、左に見える林の裏手らしく、
更にそこまで歩きました。

私は汗だくです。
写真には写っていないが、林の裏手は岩石ビーチになっていて、
人気のない海を楽しみたいなら、岩を下っていかなければいけません。
サンダル履きの私は、またもや、
自分とカミッラの命を心配することになりました。

無事に降りた後も、復路のロッククライミングに気が重くなり、
泳いで、体力を消耗したくないと、岩場でムンクの絵画のように
海を眺めることにしました。
こんな感じで↓
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カミッラは私よりずっとスポーティなので、
鞄も服も置いて、すぐに水に浸かっていました。

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目の前を小型のクルーザーやカヌーが行ったり来たり、
岩ビーチなんで、裸足で歩くのは少し痛い。
でも、お日様を浴びたくて水着になり、
遠ざかったり、近づいたりするカミッラを眺めながら
ぼーっとしていると、やっぱり暑い。
ついでにサングラスでトップガントム・クルーズになっている自分が
かっこよすぎる。
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結局私も海に入ったけど、
水温が低すぎて、オシリを水に浸ける勇気がわかず、
膝上のところで陸に引き上げることにしました。

その後、黒い雲が立ち込め、夕立が始まったので
海を後にすることに・・・。
折角命の危険を冒してまで来たのに、いたのは30分程度。

実はこの後、会っても嬉しくないイーヴァルの誕生会に招待されています。

イーヴァルって誰?

こいつです。
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4年前にドメニコ会の修道士になると言って、
お試し修道士をしていたカミッラのお友だち。

別行動をしようと提案もしたのに、
カミッラは私にも来てほしかったらしく、
ミサに行かないとまで言い出す。
決め手は奴の友達がハンサムぞろいだったことを思い出し、
行くことにしました。
 

イーヴァルは現在、中心街から北にある学生アパートに住んでいて
初めて行くカミッラも、道が分からずに
地図で場所を確認しながら2時間かけて着きました。

アパートに入るなり、カミッラはイタリア語であいさつをしていた。
な、何事?
と思いきや・・・

イタリア人がそこには一杯(5,6人)

イーヴァル・・・本当に27歳ですか?って言いたくなるくらい老けている。
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イーヴァルは7月にイタリア系の女性と結婚するそうです!
ケーキを切っているのが、その婚約者、セレーナ。
お客さんはセレーナの家族で、お父様はローマ人。
そして、イーヴァルのママもいます!

イーヴァルのママは再会をとても喜んでくれました。
病院食堂のオバちゃんなり、ヨハンネスなり、
4年たっても私のことを覚えている人はいるんだと思うと、
泣きそうです!

・・・で、修道士になるんじゃなかったっけ?

セレーナと出会ったので、辞めた上に
精神的な問題から耳鳴りが始まったので
現在無職とのこと。
それでも結婚をあきらめなくていい上、
同棲しているアパートは大学生用の国の施設です!
フ、福祉国家って希望を分けてくれるのね。

セレーナの家族はとってもフレンドリーで、
イタリア語を話せると言うことで、
随分、私を会話に混ぜてくれました。
だた、兄嫁は私がカメラを持っていることが不安だったしく、
私に聞こえない声で、
“日本人は何でも写真に撮るから、子供たちが心配。”とか
言っていたらしい。
そう言うことは、私にハッキリ言ったらどうですかね?!

ケーキはセレーナの手作りで、ブルーベリークリームの
プリンセスケーキでした。
私はヴィーガンなので、味見すらしなかった。
イタリアのコーヒー機で出してくれたコーヒーは
とっても薄くて、ちょっとショック。
これ、イタリアのコーヒーだと思ってますか?
なんて質問はしてはいけない。

それにしても、ノルウェーでこんなに
イタリア語を話すことになるなんて思ってもなかった。
セレーナのハンサムなお兄さんは、
誰かとイタリア語をこんなに話せるのは幸せだと言ってくれた。
確かに、アジア系が南アクセントのイタリア語を話すなんて
想像できないよな。

イーヴァルも自分の修道士になろうとした過去を知っている
私が来たことで、少し居心地が悪そうに見えた。
 
本名を変えさせるほど、暗い過去があったと後で知ったけど、
それって、日本人のクズ男が普通にやってること。
罪償いのために自分の人生をお祈りに捧げたかったようです

そう言うわけで、期待していたハンサムなお友だちは
誰一人来ませんでした。

“今日はペンテコステだ!ミサに行かなきゃ!!”

ペンテコステって日本語でなんて言うの?
キリストの死後、最後に起きた奇跡と言われるもので
キリストの教えを使徒たちが聖霊によって多言語で教えを説いた日を
記念したキリスト教で重要な日。
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聖オラフ教会、ポール神父が怖いので、引っ込むのを待っていた。

万歩計を付けていたら、すごい数がカウントされただろうと思う。
往復10キロは歩いたかな?

家に着いて、すぐにでも寝てしまいたかったのに・・・
トイレから出た私を待っていたのは・・・


丁寧に体に良いという白茶(どこが白いのかわからないが、半発酵茶か?)
と、椅子にクッションまで用意してくれました・・・

これから、“オスロ中央駅の死者”という、
都会の闇とそれを救った高校生のロマンス映画を上映予定。

もう、2回も見たけどね・・・。

 

病院食堂とオバちゃん

 
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♪久方ぶ~り~の~晴れも~よ~う~
と、瀧勝の演歌を歌いたいところですが、
お天気の日に頭の中に流れる音楽はアーランドのPrima Estateです。

曇り時々雨の日が多く、もちろん晴れ間もありましたが、
こんなに雲のない日は久しぶりで、
今までに感じなかった“暑さが恋しい”を体験できました。

こんなお天気の日は何しよう?

って、もちろんオリエンテーリングですが、
チェックポイントを探すなら、
ついでにオバちゃんに会いに行かないかと
カミッラから提案がありました。

オバちゃんって誰?
“Una Signora(ウナ・シニョーラ)”

よく分からないけど、病院へ行こうと連れて行かれた。
誰かのお見舞いだろうな。

お日様がまぶしすぎて、偏光フィルターのない私のカメラでは
真っ白に取れてしまった。
なので、PC上でフェイルターと彩度を変えました。
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この写真を撮ろうとしたところ、
カメラを忘れて出たことに気づき、取りに戻る。
カミッラは時間になってもかかってこない通訳の仕事のことで
派遣会社に問い合わせをしていた。

“直前のキャンセルだったら、報酬のお支払いはします。
こちらからも連絡は取りますが、高い通訳料を払った後で
何のお知らせもないとは、今回の客はヒッピーだったんですね。
という、よくわからないメールを受け取ったとのことだ。

病院は、ホーバルが慰問に行くウルヴァル病院ではなく、
それより少し手前にあるロヴィンセンベルグ病院という
以前もオリエンテーリングでチェックポイントを探し回ったところだった。
ついでに言うと、ステキな老人ホーム、カティンカグルベルの隣。

病院と言っても、日本のようにガードが固くないので、
勝手に入って階段を駆け上がり、迷路のような廊下を通って
食堂へと出ると、そこに“オバちゃん”がいた。

この人のことでした!
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コアなモンクちゃんファンだったら、覚えているかもしれない。
毎年老人ホームの食堂の食堂で会う、
標準ノルウェー語でおしゃべりすぎるイングリッドさんです!
 
オバちゃんも年に数回、顔を合わせるだけだった私を
しっかり覚えていて、懐かしそうに挨拶してくださいました。

90歳になってしまったとは言っていますが、
とっても元気そう。

・・・なのに何故病院に?

理由は暇つぶしでした。
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病院の食堂に一日いて、顔見知りとおしゃべりしながら
市役所に勤めている息子のお迎えを待っているとのことです。

病気でもないのに、医者にかかる上、病院の待合室をサロンに使う
日本のお年寄りみたいなものでしょうか?

でも、食堂を利用するだけなら、医療費(国が全額負担)もかからないし、
病院の職員さんたちを混乱させることもありません。
これができるのは、私たちを含め関係者でない人たちが
自由に出入りできる安心の国だからでしょう。

火災報知器は至る所にありますが、監視社会を嫌う国民性ってステキ。

折角なので私たちもランチを楽しみます。

ここのサラダブッフェもステキで、
レタスやミックス葉っぱ類、トマトやキュウリと言ったものから
豆や麦、キヌアのサラダなんていうナウいものに
フェタチーズ、マグロ、鶏肉といった動物性たんぱく質も置いています。
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料金はグラム売りで、好きなだけ詰め放題したら、
レジに持って行ってお会計します。

私のサラダはこちら。
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キヌアのサラダは左隅に、懐かしかった黒オリーブ多め。
これに、小さな雑穀パンが一つ付いて500円くらい。
調子に乗って、重そうな麦サラダとキヌアサラダを沢山盛ったので
600グラム越えのサラダになりました。

多分、葉っぱ類を多めにしたら、200円くらいで済んだんじゃないかな?

この食堂、安い!

この価格は、公共施設でも中々ありません。
お隣の老人ホームや大学の食堂でも、これの5割は高いと思う。
 

ちなみにワッフルは150円、日替わりランチも300円程度と
オバちゃんが長年通った老人ホームから、
こっちの病院にランチ&暇つぶしをしに移って来たのが
良く分かります。

コーヒーも60円弱で、二杯目以降は20円という価格ですが、
お代わりが安いコーヒーは、お代わりさせたくない味(酸っぱい)なので、
紅茶を頂くことにします。

お水はもちろん無料で、冷たい水と室温の物が選べるのが病院らしい。
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グラスは乳製品で有名なメーカーTine社のもので、
“MELK(牛乳)”と文字が描かれています。
科学実験で使うビーカーを連想させる形だけど、ステキデザイン。
 
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お会計はこちら。
ノルウェーのお昼は早いので、1時頃に行ったら、とっても空いてましたが、
3時頃にコーヒーを買いに行くと、5人くらいの列ができていて
早い夕食の時間帯に当たったらしい。

こういうところの食堂は4時になると閉めてしまうので、
最後のラッシュアワーだったらしいけど、
レジ係りも食事とりわけ係りも、コーヒーや紅茶をカップに注ぐ客も
皆、とってもゆっくり。

お支払い中に、やたらと追加したり、レジの人や後ろの客とおしゃべりしたり、
私たちも例にもれず、待っている間、後ろに並んでいた
血色の良いお兄ちゃんに話しかけられて、自分たちの番に気付かず
レジの人に呼び出されてお会計しました。

このお兄ちゃんと“ラズベリー”の発音のことで
話ながら席に戻ってくると、
病院の人間関係を全て把握しているオバちゃんから
その兄ちゃんが心臓外科医だと言うことを聞かされた。
“あんた、あの人彼氏にしなさい!”
という、全く応じることのできないアドバイスまでもらいました。

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病院の食堂だけど、結構カラフル。

オバちゃんと一緒に食事をする人たちも
家で暇しているか、仕事が終わった後に来るらしく、
個人主義で寂しい人たちを想像させられる福祉国家ノルウェーという
一般的なイメージとは違う、他人と積極的に関わる
オバちゃんのお人柄が素晴らしいです。
逆に、一度集団から離れると
孤立することが多いのは日本の方ではないか?

男女ともに楽しそうでした。

コーヒーはまずかったが(酸っぱいんだよ)・・・。

オバちゃんも90歳という年齢を感じさせない。
確かに歩くのは以前より遅くなったけど、
周りのオッサンたちとの会話もしっかりしている。

それでも息子さんは一人暮らしのオバちゃんを心配して、
毎朝家まで迎えに行って、夕方家まで送り届けるそうです。
その時に自宅の様子を伺っているのかな?
もしかしたら、私の気が付かないところで
できないことが増えたのかもしれない。

病院の廊下。
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90歳でもこれだけ歩けるのは、
若いころにずっとスポーツをやっていたからだと言っていた。
私もカミッラに付いて、オスロやオーレスンを歩き回っているうちに
今まで感じていた喉の痞えがなくなった。

うつの初期症状の一つに喉の痞えがあるそうで、
仕事を始めてからずっと感じていたのに
運動をすることと、自分本来でいることが出来た
ノルウェーとカミッラに感謝している。


カミッラに学ぶ 楽しい予定の入れ方


いつも“いいね!”を下さる方、コメントを残してくださる方、
本当にありがとうございます!

毎晩長~い記事を書いてしまうのは、
今まで書けないでいた分もあるのかな?

そう言うわけで、今回はオーレスンからオスロへ戻った日のお話です。

朝七時の飛行機でオスロへと向かい、
空港から電車でオスロ中央駅まで行きます。

まあ、カミッラが搭乗時刻と出発時間を勘違いして、
“乗り遅れた!”と一時パニックになって、
SAS(スカンジナビアン航空)のスチュワーデスさんを捕まえ、
一人で慌ててて大変でしたが、無事、オスロまで着くことが出来ました。

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オーレスンからオスロに着いてすぐ、カフェに向かうカミッラ。

オスロ中央駅の横にあるOslo Cityというショッピングセンターのカフェで
エスプレッソを早速注文。
ジャケットのポケットから結構な小銭が出てきたようで、
私が払うのだけは避けられました。

私だったら、自宅まで直行して、自分でコーヒー入れるが、
カミッラはこの後、家に帰らずにその足で
聖ドメニコ修道院へと行きたかったようです。

なぜかって?

ホーバルからメールで庭仕事のお手伝いを頼まれたからです。

修道士様の朝は遅いので、今から修道院に向かうと、
玄関前で待つことになると言うが、
多分、こういう生活を送っている人は早朝から
瞑想とかお祈りとか、ついでにミサとかあって、
結構忙しいんじゃないかと思うけど。

地下鉄で修道院のあるマイオルストゥアまで行き、
小雨の中、修道院まで歩いていると、
周りの景色や色々な人種のいるオスロ
妙な安心感を覚えた。
 
作業前にコーヒータイム
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神学を勉強したのに、庭仕事をするはめになったとか、
防水ジャケットを島にある工場まで行って安く買ってきたとか、
嬉しい世間話をしてくれます。

前回同様、南米系の男性はホーバルとスロープ造りを行い、
私とカミッラは花壇の雑草抜きと、鉢植えを植える軽作業です。

雨がどんどん強くなってきたので、
途中、トイレを借りるフリをして屋根の下に避難しました。

私は普段から傘を差さない派で、服が濡れることに対して、
それほど神経質にはなりませんが、
この日は、この後にカミッラママとの面会があり、
聖オラフのソーシャルランチに出席するので、
さすがに水浸しで行くのは悪いと思い、
玄関で経理をしているジェラールに挨拶がてら、
屋内避難です。

前日寝ていない私と少しだけ寝たカミッラは、
庭仕事をしている場合ではないのに、
ナチュラル・ハイ・ハイ・ハイ!で
死ぬほど一生懸命草むしりしてしまい、
待ち合わせの時間を忘れて、カミッラママから呼び出しまでされました。

ホーバルに軽く挨拶をして、カミッラはバスで、
私は自転車で聖オラフ教会へと向かいます。


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白ごはん大盛り

この日は満席だったので、三人バラバラで座り、
私が見つけた空席はカルロ神父の隣で、
チリ人グループのテーブルだったので、
彼らに交じって食事しました。

スペイン語は陽気な気分にさせてくれます。
一人、ミラノで働いていた男性が私の状況と少し似ていて、
随分長いこと話しました。
 
南米、特にベネズエラでは、政府による監視があり、
ソーシャルメディアに下手なことは投稿できないこと、
自由が欲しくてイタリアに移民したが、税金ばかり高くて
その税金が還元されるような生活がないこと、
ドイツに働きに行ったあと、ノルウェーに仕事を見つけて
移住したら、とても幸せな生活を送れていること。
だから、私にも仕事を見つけて移民しなさいと
何度も言ってくれました。

あ、イタリアの大学が最悪だとも言ってました!
授業はまともにやらず、本だけ読ませて
テストで嫌がらせをするって!
ミラノも南イタリアと変わらず
安心できる暮らしは存在しないことが分かりました。

“念願の彼氏が見つかって良かったね!”

待たせているカミッラが
楽しい勘違いを嫌味交じりに言っていた。
残念だが、私の神父マニアが無くならない限り、
彼氏なんて無理な話だと思う。


カミッラに急かされて、付いたところはパン屋カフェ。
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ノルウェーの菓子パンは最高だと思う。
食べた後に“食べた!!”という満足感があり、幸せな気分になれるが、
ランチで大量に果物とコーヒーを頂いた私には
見るだけで結構です。

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水のサーバーステキ。

乳母車を引いた金髪ヤンママがパンを買いに来ていたが、
まだ一歳くらいの赤ちゃんに気に入られてしまい
ヤンママが買い物をしている間、側に乳母車を置かれてしまった。

ゲルマン圏の人たちは子供に対して、すごく一生懸命に映る。
子供が喜ぶならと、まわりを巻き込むことに対して
何の遠慮もないことが、私には幸せの国に思えた。

ヤンママが私にありがとうと言って、店を出たあと、
やっとカミッラのアパートに帰ります!

カミッラのアパートで、私は30分程、
意識を失ったように眠ってしまいました。

そして、夕食を食べに行こうということになり・・・

いつもおごってもらっているので、安く食べられるものを探していると

“Vaar Ruller(ヴォール・ルッレル:春巻き)”

カミッラは、オーレスンからずっと春巻きに対する情熱を引きずっていたらしく
近所のベトナム人が営む寿司屋に行こうということになった。

寿司屋で春巻き?
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ベジタリアン春巻きとベジタリアン海苔巻き(アボカドときゅうり)

ベジタリアンメニューが普通にあることに
都会の香りを満喫しました。

カミッラとカミッラママはエビフライとか、カニ入りの海苔巻きを注文。
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薄切り海苔巻き。
大量の生姜と何故かベジタリアンキムチ付き。

わさびがあまり刺激的でなかったが、キムチは結構辛くて
二人の分も美味しくいただきました。
房総太巻き寿司を知っている私には、細巻な海苔巻きです。

お値段も、ベジタリアン春巻き&海苔巻きで1000円程度、
エビフライ入りは1500円くらいか?
ああ、オスロに帰った来た!!と感激した。

お客さんもテイクアウトで結構賑わい、
たくさん売れるから安くつく、
見慣れない食べ物でも新しいものを受け入れやすいのは
都市部だからと実感する。
・・・まあ、魚文化のノルウェーで寿司は結構前から人気でしたが。

食後はまた、カフェです。
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毎週、カミッラママは一日に3回カフェで浪費するので
結構な金額がオスロに落ちると思う、
そして私、カフェは出来る限り遠慮しているが、
今回はエスプレッソを注文しました。

なぜって?

ここのカフェ、笑顔のステキなお兄ちゃんがコーヒーを淹れてくれるから。
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ステキでしょ?
“僕の写真?いいの?僕なんかで?!”
と言いますが、何度でも来たくなるほどシンパーティコ(フレンドリー)。

・・・時刻は午後18時、ああ、これからミサがあるから
教会に行って、本日の予定は終了かな?

と、思っていたら
“そこのスーパーで牛乳買って帰ろう。”

カミッラも寝不足とエネルギッシュすぎる一日にお疲れのようで、
ついでに、ユールンの健康最優先思想の呪縛からも
解放されたせいか、お顔がとっても柔和になっていました。

口座残高が空のカミッラは、スーパーで牛乳しか買えず、
チョコレートの禁断症状がでてきたので、
私が考古学で鍛えた“Anti o post Quem(この年代の先と後)”発掘法で
アパートの中を探り、沢山の忘れ去られたチョコレートたちを見つけ
エネルギーが補給されてしまったカミッラは、
超重いデンマークの時代劇DVDの鑑賞会を始めたので
眠りに着いたのは夜中の12時です。

疲れた頭にハッキリと聞き取れない言語での
時代劇は結構大変。
でも、忙しい一日を無事に終えました。

カミッラのアパートで発掘されるのを待っていたチョコレートたち
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青い箱はポーランドの空港で買ったプルーン入りチョコ
その下のスティック状のものはフランスでシスターからもらったもの
右の不思議な八角形の箱はカザフスタンで買ったそうです。

こういう日があるから、ミサと買い物で終わってしまう一日が
何だかもったいなく感じてしまうようになりました。
まだ外も明るし、これから散歩なんてどう?って言われたら、
多分付いて行ったと思います。

続・聖オラフのソーシャルランチ

 
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オスロでは毎週金曜日に聖オラフ教会のソーシャルランチがあります。

会場も聖オラフの司教館から、新しく出来たばかりの
マリアゴード館に移り、2010年から参加している私にも
顔見知りあり、初めて会う人ありの出会い広場になってます。

カミッラママもここで交流を深めているので
毎週金曜日には電車で20分程の地域からオスロまで来て
お友だちと楽しく会食しているようです。

以前はノルウェー人のオバちゃんが料理を担当していたけど、
今はチリ出身の女性二人が中心になって
準備しているようでした。

過去記事
私の人でなし具合がうかがえます。

 
 

だから、メニューがちょっとラテン系。
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パスタサラダとカマンベールのカナッペ。
飲み物はリンゴベリーの果汁数パーセントと水と砂糖のジュースです。

数日前まで暑い日が続いていたらしく、
爽やかなメニューを作ったようです。

前のように肉団子とか、ポテトサラダとか、フィッシュグラタンのような
ノルウェーで良く食べるメニューと違う上、
調理するのは一品のみになった。

豚肉をトマトで煮込んだシチューとお米というメニューの日もあり、
チリ料理だとボランティアスタッフは言っていた。

今でも思い出すのが、カミッラがこのボランティアをしていたときのこと。
ニンジンポタージュを作ると、前日から材料を買ってはいたが、
そんなに簡単に作れるわけではないので、
スパイスを焦がしすぎて、会場が辛い煙で立ち込めてしまい、
その場にいた人たちが外に避難していたこと、
ミキサーがないので、スープがポタージュ状にならないばかりか
材料の分量を全く無視していたので
ニンジンだらけの激辛トマトスープに出来上がってしまい、
お年寄りの多かった当時のランチでは、
誰も食べたくないスープになってしまったこと。

カミッラママは心配して、それ以降は冷凍食品のピザを
持って行くように勧めていたらしい。


野菜スープとパンのランチ。
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野菜をこれでもかと煮込んだスープと
ノルウェーの胚芽パン、ベリーとバナナのデザートメニュー。

会食の前にお祈りがあって、その後にボランティアスタッフが
勝手にサーブしてくれるという、
以前のセルフサービスとは違い、強制的に皿に盛られます。
ラテン系のサービス精神はさすがだ!

このスープはナポリババアが作るような野菜ドロドロスープで
幾らでも食べれます。

・・・私がオスロに着いた日から、雨続きの寒い日が多く
温かいスープの有難味を感じました。

 
このソーシャルディナーの素晴らしいところは
聖オラフ教会に従事する神父さんが、お顔を出されることです!

カルロ神父
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かわいいお爺ちゃん神父のカルロ神父は
イタリア人で9歳のときに日本へ赴任し、
九州、東京、札幌と長い間住んでいたということで
日本語もお話になります。

しかも!天皇バチカン訪問に専属通訳として付いて行ったと
そのときの話も懐かしそうにしてくれました。

・・・ただね、アルツハイマーなので、どこまで本当かはわかりません。

カミッラの話では日本にいるときに、
日本人女性と極秘で結婚したとか話したこともあったそうです。

ちなみにスペイン語やフランス語、ノルウェー語も話すので、
私たちがイタリア語で話している最中に
急にスペイン語やフランス語になってしまったりして、
アホの私でも何故か、ラテン語圏の言語は理解できるので
そのまましばらく黙ってましたが・・・。

話の最中に自分が生まれたフランス国境の村と
イタリアの南北問題を話し出したり、
まるで志村けんのジジイコントを見ている様で
不謹慎な私は笑いをコラえるのが大変だった。

そこへ、カルロ神父の症状を知らないチリ人の男性が入ってきて、
“神父、それと今の話に何の関係があるんですか?
それ、さっきも同じことを言っていましたよ。”
なんて、真面目に横槍をいれるので、
それはもう、“笑ってはいけない”状況を更に重くし、
ポーカーフェイスがいつまで持つか心配すらした。
横でカミッラが爆笑しているしね・・・。

地球の全人種集合ビンゴ大会。
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このランチはビンゴ大会(くじ引き大会かな?)があります。
数字を一枚250円ほどで買ってもらい、
集めた収益はランチの実費と教会への寄付となるようです。

数字を読み上げているのがボランティアスタッフ。
チリ出身のお二人で、金髪の女性はカミッラと毎回ランバダを踊ります。
ノルウェー語とスペイン語で数字が読まれるので、
自分のくじが当たったかイチイチ誰かに確認しなくても良くなりました。

図々しくもカルロ神父の隣で食べることが多かったんですが、
このくじ引きが始まると、なかなか良い話を聞かせてくださいます。

“このランチは聖書の楽園風景に似ていると思うんだけど、
君はどう思うかな?
ここには国籍も人種も言語も違う人たちが集まって
一緒に食事をしたり、くじ引きを楽しんだりして、
みんな一つになって一緒に時間を過ごすんだ。
ここに来ると、いつも元気をもらえて
いつお迎えが来ても、幸せに終われる気がするんだよ。”

確かに、以前よりも沢山の違う国籍の人たちが
お互いに混じりあって親睦を深めている。

私もこの会場に居ることに対して、全く違和感を感じない。

それに、くじ引きの景品がこれだしね。
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中身は全部確認してませんが、
雑誌は確実に、ご婦人が読み終わった後のバックナンバーです。

覚えている景品は、祝福入りのろうそくとか、
額縁に入った聖オラフ教会の写真、
今回は消耗品の台所用ふきんや緑茶のティーパックもあった。

陽気に番号を読み上げるチリ人の女性たちと
カルロ神父に気に入られて、立ち上がれなくなった私。

ノルウェー人のお婆ちゃんたちも、
私にノルウェー語を教えようと必死だし、
ベトナム系の女の子たちもちょっとシャイで人見知りするけど
何度も顔を合わせる内に昔からの知り合いのように
話してくれるようになった。

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“いいカメラがあるなら、撮って!”と言われた一枚。

真ん中の女の子は日本語を勉強したいと言っていた。

こんな体験をしている私だから言う!

今、日本ではアジア諸国の人たちに研修生という名のビザを発給し、
人手の足りない現場の仕事を、低賃金のひどい条件下で働かせ、
仕事になじめないなどの理由で帰国する際は
奨学金の全額返金を要求するという
人身売買のようなことを行っているらしい。

国連からもこの制度を廃止するように要請されているそうだが、
今のところ、改善、撤廃などの動きは見られません。
未だに沢山の人たちが、ひどい職場環境で
精神を病んでいるのに、金銭的な問題から
無理して働いていると言うではないか!

彼女が日本に来る頃には、いい国になっててもらえませんかね?

私はカルロ神父の言う“楽園”にいて、
自分の国籍を今まで以上に恥じました。

 
中々話が終わらないカルロ神父に、
カミッラのママが呼びに来てくれました。
私が帰ろうとすると、
“年寄りの話相手になってくれてありがとう。”
と、言ってくれました。
多分、自分がアルツハイマーを患っていることを知っているのだろうな。

神父さんと落ち着いて話が出来たことに喜ぶ私ですが、
このソーシャルランチには、もう一人顔を出す神父さんがいます。

“Viva!け・ん・りょ・く!”のポール神父です。
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いや、悪い人ではないんだけど、
神父というより、ちょっぴりやり手の地方議員的な存在です。

私は苦手なんで、あまり近寄らない・・・
でも、憧れのオーレ・マルティン神父と仲良しなんだって!
 
 
 

夢遊病VS不眠症

 
 
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ボタニスク・ハゲ(植物園)にて。

カミッラが自転車に?!

オスロでは、携帯電話を持っていると貸自転車が乗り放題らしい。
カミッラは公共交通機関の定期を持っているので、
バスで帰宅する際は私が彼女のアカウントで自転車借りてました。
 


今回は、またカミッラの夢遊病の話を。


以前に、泣かれる、殴られる、悪魔の質問をされるなど、
何度も奴の恐ろしい夢遊病について書いてきたけど、
多分、日本語だと夜驚症という症状の方が近いかもしれない。
通常、脳と体を繋ぐ神経は睡眠中に切れていて、
夢を見ても体が動かないようになるらしいが、
カミッラの場合はそれが繋がったまま。

子供の頃に患った脳腫瘍の後遺症か、
父親も同じ症状があるというので、遺伝かもしれない。

まあ、同じ部屋で寝る人には迷惑な話です。


民家の庭に不法侵入するカミッラ。
 
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そして私は、子供の頃から睡眠障害に悩まされている。
それについてはお医者さんに罹ったことはないけど、
体内時計が日照時間と関係していないらしいことだけは
分かっている。
 
ノルウェーに行く前の私は、布団に入っても2時間おきに
起き上がってしまうほど、病んでいました。
眠れないから、体はずーっとだるいし、脳みそも全否定モードに入っていて
カミッラが毎日送ってくれる写真としつこいノルウェー勧誘がなければ、
多分、今もあの医者のいい患者さんだった思います。

そんな不眠症の私が夢遊病とどう戦おうか?

って構えてたのに、今回は問題行動はほとんどなかった。

今までは毎晩あった夢遊病の回数が激減したので、
実は少し気が抜けてしまいました。

最初の夢遊病は3日目の晩だったかな?

“明日、私は一体何をすべきか?!!”

と私に向かって問いかけてきました。

“9時に家を出てトイエンのプールでエクセサイズ、
12時半に私と植物園で待ち合わせ。”

と、奴の翌日の予定をそのまま言うと、
おとなしくベッドに戻って行きました。

この日、森へ行く予定を雨で中止にしたので、
自分のスケジュールに不安を感じたのでしょう。
 
 
背中にネギとコリアンダーをしょって歩くカミッラと最近までうつ病だったMF友達
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その後、オーレスンに出発する前日の
“目覚まし悪夢”ともいうべき、
遅刻するから起きろと30分置きに私を起こすこともありましたが、
2時半に起きるということは、眠ってしまわない方がいいので
私には何の問題もなく、
イタリアにいた頃、朝寝坊の夜型生活だった私を心配してくれたと
勝手に解釈してます。

午前2時のオーレスン。緯度が高いからとっても明るい。
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オーレスン最後の晩に起こったエクソシスト症”という
ホラーな夢遊病がありました。
これは本当に怖かった!

写真の通り、夜中でも明るくて、夏休み中の不良が広場でかなり騒いでいた。
物音に敏感なカミッラは、人の話声の影響で夢と繋がってしまうことがあり
とっても心配だったんだけど、
翌朝4時起きというプレッシャーもあってか、
30分置きに私を起こす“目覚まし悪夢”のあと、
いきなり私の耳元でこう聞いてきた。

“アレをどこへやった?”

その声はいつものカミッラの声ではなく、
誰か違う人の声だった。

続けて・・・
“まさか、ぜ~んぶ食~べ~た~のか?”

怖くなった私はとりあえず返事をします。
“ハイ、全部食べました。”

すると、“嘘だ!”とシャウトしたあと、
私のカバンをゴソゴソ・・・

“見~つ~け~た!”
と、いつものかわいい声で言った後、
ボリボリと何やら食べ始めました。

ポテトチップスです。
 
食べ物にうるさいユールンに見つかると
またお説教されると思い、内緒で鞄に隠し持っていたのを
カミッラに見られたのでしょう。

食べているときのカミッラは、不気味なくらい無言で
その後おとなしく眠りに着きました。

その日、カミッラは食べたかった春巻きを
ユールンに止められたので、ストレスだったのでしょう。

オスロに戻ってからも、時々寝言でシャウトしてます。
“ユールンは健康主義者、食べ物にこだわる・・・”

哲学的なカミッラ
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今回の訪問で、私は自分の過去を反省している。

カミッラの夢遊病の原因は、外部ストレスということは
十分にわかっていたのに、以前の私は彼女の辛いと思う気持ちを
常識的にしか受け入れなかったし、
彼女が私に対して良かれと思ってやってくれる
いろいろなことに感謝すらしなかった。

あの滅茶苦茶な料理も、私に振舞おうと頑張っていたのに
私は食材の無駄だと、自分で作ってしまったり、
一緒に旅行したいカミッラを後目に
自分の行きたい所へしか予定を立てなかったりと、
カミッラの善意を随分踏みにじっていたような気がする。

それに気が付いたのは、ノルウェーで目覚めた朝だった。
久しぶりにまとめて眠れた私は、スッキリした頭で
台所の掃除をしていたとき、お外は雨模様なのに
気分はすこぶる良かった。

“いつから日本人になったー!
あんたが、こんなに早起きするなんて信じられない!”

とカミッラが驚くのも当たりまえなのが、
私は今まで朝は、用事がなければ11時まで寝ていたけど、
カミッラは遠くから来る友達と一緒に過ごしたかったのだと
その時にやっと理解出来た気がする。

更に、いままで死んでいた自分が生き返ったような気もした。

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6月のオスロは、12時になって薄暗くなる程度。
夜中の2時には夜明けを迎えるというのに、
明るい部屋で私は、良い睡眠がたっぷり摂れました。

日照時間と体内時計は私には、無関係だったということも分かり
皆が嘆いて睡眠薬や日照灯のお世話になる北欧でも
私には問題なさそうです!
その代わり、体内時計は自己管理が必要ですが・・・。

地方都市で食事を楽しむ心得

 
今日はお金の話なので、気持ち悪いモリッシーの映像と共にどうぞ!
The Smith - Heaven knows I'm miserable now
 
一人旅のときは、ほとんどカフェに寄ったり外食したりしないので
オーレスンでの外食が高くつくことを知らずにいました。

今回はカミッラの口座残高が2万円程度で
私の持っている現金は1万円とちょっと。
ATMの暗証番号など忘れている私は
手持ちの現金を両替して使っていたので
レートの悪い地方銀行のお世話になりたくないがため、
飲食は極力避けました。

ケチな私には、4日間で十分な金額です。

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日本やイタリアでは地方へ行けば、物価が安くなったりします。
・・・ノルウェーではそれが逆なのか、
オスロを基準にお金の準備をしたので、
思わぬ高額にカミッラ共々、かなり悩まされました。

以前にもアップしたサラダの金額2千円越え
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カミッラの表情も苦い。(写真を撮っていて、待たされているからです)
これ、一人分ですよね?!
ここのカフェも、一番安いエスプレッソが500円近い、
もちろん、セルフサービスで!


こちらは、メイン通りにあるオーガニックカフェ
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カミッラが飲んでいるのはトラ入りチャイ。
メニューにそう書いてあったが、“トラ”は確認できず。
カミッラから一口勧められたが、ヴィーガンなのでお断りです。
二人が食べているブラウニーは500円程度で、
カフェも同じくらいの金額設定。
 
オーガニック&ヴィーガンメニュー有りという
私にはウレシイ店でもあるんだけど、
コーヒーはオスロから持ってきたインスタントを飲むので
私は無料の水をひたすら飲んでました。

この店では軽食もできるので、
ユールンのお誘いで、ランチに行ってきたけど、
そのメニューがブルスケッタという一番安いもので1500円程、
二人は3000円程度のミックスサラダを注文してました。
悲しいのは菜食バーガーがあるのに、2000円越えするので
二人に仕切りに勧められるのを断って
フランスパンを焼いただけっぽい安いメニューを注文しました。

その値段だけあって、カマンベールチーズがこんもり乗っかった
手作りパンと、結構な量のサラダがセットになっていたので良かった。

そして、何故かカミッラがお会計をしました。
せ、セーフ!
(じゃないよ!)


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タイ料理店にあったセルフサービスの水。
料理の写真は、今回あまり気に留めなかったようで、
コップと水の写真が多いです。
夏だから?

ここのメニューは5種類のみ。
カレーかチャーハン&春巻きセットしかなかったので、
選びようがありません。

カレーも赤と緑の二種類で、辛そうなレッドカレーを注文。
ごはん付きで1800円ほど。
高い!オスロだったら、1000円から食べられるのに!!

カミッラは1700円のガパオライス&春巻きのセットを注文したかったらしいが、
ユールンに揚げ物は体に悪いと説得されて
グリーンカレーを食べてました。

このカレー、肉しか入ってない!
量も多くて、小食のユールンは残していたし、
私の分の肉を食べたカミッラはお持ち帰りまでした。
だから、この金額でも仕方はないんだろうけど・・・。

このレストラン、結構流行ってます。

来る客のほとんどが、土木作業員みたいなおっさんたちや
テイクアウトの若い男性ばっかり。
タイから来たステキな店員の笑顔が見たくて来るのでしょう。

この店でテイクアウトを待っていた
スリランカ人のお兄ちゃんが、日本人の親戚がいると
写真まで見せてくれました。
家族写真を見ると、いろいろな人種がいて、
誰がどの国籍と結婚したとか、自分もアフリカ系の祖先がいるとか、
中々面白い遺伝子をお持ちのようです。

“他人種間で子供を作るべきだ、そうしたら、みんな違うことが同じになる。”

これ、10年前の私には、全く考えが及ばなかった思想です。
ステキな金髪の北欧人がラテン系と混じったら、
金髪がいなくなるとか、本当に怖いことを考えてました。

今は、このスリランカ兄ちゃんの意見に大賛成です!


一番安いカフェはここです。
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薬局カフェ!
ユーゲンスタイルセンターという博物館のカフェなんですが、
オーレスンのランドマーク的なユーゲンスタイルの建物と
その内装も90年代まで薬局として使っていたものを
そのまま残して、カウンターの奥にカフェスペースを設けたものです。

ユールンの職場なんで、連れて行ってもらわなかったら
どこがカフェなのかわかりにくいです。

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エスプレッソがオスロ価格
300円程度で飲める上、味もそこそこ。
ケーキ類は手作りらしく、チョコレートケーキを食えという表記が
ガイドブックに何度もあり、一切れもでかくて二人で食べても
十分なくらいですが、私は甘いものが苦手なのでパス。

ユールンは職員価格で、200円程度でカフェラッテが飲めるそうで、
私たちの分も払ってくれました。

ただし、4時には閉店なので夕食後にフラっとコーヒーを楽しむことはできない。

オーレスン滞在中、外食希望のカミッラと
節約しまくってる私の間で、
どこで食べようといろいろ考えてくれていたユールン、
最初の日のピザは1500円ほどで、その後寄ったオーガニックカフェで
私が注文しないのをしっかり見ていたのだろうなという印象。

翌日は海辺にあるフィッシュ&チップスの店に
連れて行ってくれましたが、
魚と芋で好みが二つに分かれるカミッラと私は
一皿注文して役割分担して食事を。

ユールンは魚フライ4つを注文、衣を取って食べていました。
もちろん、芋フライは体に悪いという御説教付き。

そうやって、ユールンが気を使って安いところで
飲食させてくれていたのにも関わらず!

最終日にカミッラのカードは止まってしまいます。

私はオーレスンで思い出の品を買う余裕もなくなり
(元から買うつもりもないが)
カミッラのカバンをひっくり返して、集めた小銭を
空港行のバス代に充てるようにと注意し、
オスロの空港から市街までの電車代は
彼女の分まで払うことになるだろうと覚悟を決める。

のに、のに、どうしてまたカフェに行くのよ~!
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飛行機が6時半出発なので、始発のバスを待つんですが、
早く家を出すぎた私たちは、写真の撮影会を終えた後、
“コーヒー抜きの朝は世界の終わり”なカミッラが
灯りに釣られて入ったウエインズ・カフェ(スウェーデン系チェーン店)にて、
一番安いエスプレッソを注文すると、
“まだ、お店の準備が出来ていないから、紅茶で良かったらどうぞ!”
と、何故か私の分まで、紅茶用の熱くて大きなカップを渡されました。
カミッラが料金を払おうとすると、無料だと言う。

しかも、カウンターの前には朝食ブッフェ的なテーブルが用意され、
そこで、好きなものをお好きなだけどうぞと進められる。

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“Heaven knows we are miserable now!”
と、朝じゃなかったら叫びたかったんですが、
このカフェ、ホテルの一階にあります。
 
多分、このホテルでは、このカフェでの朝食が宿泊料金に含まれていて、
私たちは早朝のチェックアウトする宿泊客だと思われたのだろう・・・

す、すみません・・・。
と言いつつも、私の罪悪感は街の物価高のせいか、
限りなく薄かった。

オスロに戻った私たちは、
オーレスンの物価高について話した。

ユールンは安いと言っていた、
イタリアで外食をするのと同じくらいの相場だと。

しかし!彼女のイタリア価格はミラノやヴェネツィアなどの観光地で
私たちのイタリア価格はスラム街のナポリであることを考慮すれば、
お互いの金銭感覚の違いを知ることは容易いのに
そんなことには全く気付かずに
地方都市の経済に嘆きまくった私たち。

…無事に帰ってこれて良かった。
 

 

 

奇跡を信じますか?

 
タイトルからして、私の頭を心配してくださった
心優しい方がいらっしゃるかもしれません。

日本社会のショックで、加計学園問題や森友問題なんて
気にかける余裕すらなく、自分の国で起きた
大きな政治的問題であるにも関わらず、
思考能力0のアホ日本人を一年近くやっていましたが、
脳みそが大分戻ったので、都議選に白熱しておりました。

以前のアホモンクちゃんにしっかり戻ってきたんです!
これもカミッラという薬と、ノルウェーという訓練場のおかげです。

メンタル系の弱い人はすぐにスピリチュアルに走ると
思われたでしょう?

私の前世は中世後期のシトー派修道士だったんですが、
今回の“奇跡”はオーレスンにある
博物館“奇跡の家”を訪問した記事です。

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オーレスンにある“奇跡の家”英語でミラクル・ハウスと称された博物館。

ただの古い一軒家の佇まいですが、
北欧らしいスタイルの家が好きな私は、
観光案内所でパンフレットをもらったときから、行きたくてたまりませんでした!
入場料は無料だし・・・。

入り口の写真をきちんと撮りたいのに、
一緒に来たユールンに呼ばれて、急いで中に入ると
この家の持ち主らしき、少しイカれたおばさんがいました。

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この博物館ではまず、このオバちゃんに自己紹介が必須
家の持ち主兼ガイドを買って出てくれます。
 
まずはこの家の歴史から、話し始めます。
3階建ての木造住宅で当時は5家族がシェアしていたとのこと、
その内の3人は独身貴族というから、
“家族”という考え方の違いにまずは驚き。

一階では、1904年のオーレスン大火についての説明を
当時の新聞記事を持ち出して見せてくれます。
その新聞もどっかの家で壁紙の裏地に使ってたやつとかで、
糊でテカテカしていて茶けている。

そして、非常に狭くて急な階段を上って二階へ。
ここからオバちゃんのガイドに演技に入ってきます。
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奇跡が起きた部屋。

この部屋にはお年寄りのオッサンが住んでいて、
ある晩、天使の夢を見たそうで、
オーレスン大火が起こることを知らせに来たそうです。

“オーレスンは窃盗や性の乱れがひどく
焼き払う必要がある。
この家だけは無傷で残すつもりなので、
炎を見ても、外へは出るな。”

という預言をしたので、家の住人共々、
被害を逃れたそうです。
だから“奇跡の家”なんでしょう!

その当時の街の写真を見ると、
街は全焼したのに、この家と、今もある刑務所だけが焼け残ってます。
刑務所では、受刑者たちが脱獄したそうですが、
街がなくなってしまったので、仕方なく戻って行ったそうです。

お年寄りが住んでいたというのが、
妙に納得の人形が一杯の箪笥の上とか、
夜に用を足すための簡易トイレ(洗面器と腰を支える木枠)があり、
毎日祈りを捧げながら、
修道士みたいな生活をしていたんだろうなと言う印象。


続いて、かわいいピンクのお部屋。
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キャーかわいい!
何て乙女な部屋って思っていたら、
カミッラから注釈が入る。
ここは60歳を過ぎた独身貴族のオバちゃんの部屋だったそうだ。

ガイドはノルウェー語なので、ユールンがイタリア語に訳してくれていた。
ユールンの翻訳は的確だけど、おしゃべりなオバちゃんの遠回りな話を
所々カットするのに対し、カミッラは注釈をやたらと入れたくなるらしく
ユールンのわからないナポリ語でたまに突っ込みを入れてて
二人だけ笑いを我慢していた。

実際、このオバちゃんガイドは演劇でもやってるんですか?
というくらい、大げさに話すので、
言葉が通じなくとも面白い物好きには、結構キツイ。

ユールンは仕事の打ち合わせがあり、時間がないので、
ガイドさんの話を打ち切って、一階のカフェでコーヒーを頂きます。

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カフェスペース。

グレーの内装って、ピンクやミントグリーンと合わせると
柔らかい雰囲気が出るらしいことがよくわかるインテリア。

昼飯食べてるときから時間がないと
焦っていたユールンが、なぜついてきたのかはわからないが、
お昼のタイカレーをご馳走してくれたので
ここぞとばかりに私がコーヒー代を払いました。

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ここのカフェはオーレスンにしては安めの値段設定なので
三人分でも1000円しなかった。
・・・セーフ!(&セーブ)
 
まだ話足りないガイドのオバちゃんに
私たちを任せてユールンは仕事へと出て行く。
そして、コーヒーを飲んでいる間もオバちゃんの
オーレスン大火の話は続き、
その間にアメリカ人らしき観光客が一人、
家に入ってきて、そのまま階段を駆け上がっていくが、
オバちゃんは気にも留めずに、
古い写真をいろいろ出してきては説明する。

“お嬢さん、お写真はお好きなだけ撮っていいのよ。”

と言って、焼け残ったガラスの器を出してきた。
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北方アールヌーボー、ユーゲンスタイルの装飾。
別に写真は撮りたくなかったが、
奨められて撮ってしまった。

ついでに、ケーキが手作りなので、
是非味わってほしいと言われたが、
甘いものに興味がない私は、断ってしまった。
カミッラもタイ料理店で、
私のカレーに入っていた大量の肉を食べているので、
それ以上食べられなかったのか、ここではワッフルでお茶を濁す

その後、さっき入っていったアメリカ人が、
家を出ようとしているところへ駆け寄り、
ガイドを始めていたので、私たちはトイレを借りて退散することに。

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カフェカウンター。
照明はメイソンジャーみたいなガラス瓶で、優しい灯りがステキです。
このスペースには毛糸製品やら絵葉書など
お土産物も売っていて、
ケーキを食べない代わりに、カミッラは絵葉書を買っていた。

先にトイレに行っていたカミッラが戻ってくると
トイレに最高にステキなものがあるから、
絶対行った方がいいというので、見物に行くと。


キリスト様がノックする絵が飾られていました。
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“次の人がつかえてます、早く出て!”
って意味だろうか?

私たちが“奇跡の家”を後にする頃、
ガイドを非常に短く終えたオバちゃんが
玄関で見送ってくれました。

そして、その日の夕食は、
カミッラがタイ料理店で残したカレーがあるので、
それぞれ用意ということになったけど、
デザートに最高にステキなものを振舞ってくれた。
 
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ユールン・スペシャル。
パイナップルにヨーグルトとクルミとデーツシロップをかけたやつ。

ヴィーガンな私は今回、随分と動物性食品を口にしたと思う。
ヨーグルトなしで!って頼めたらいいんだけど、
その場の雰囲気を壊したくなかったし、
カミッラも一人で行った教会で、孤独を味わったせいか
少し落ち込み気味だったので、余計な注文を付けて
ストレスを与えたくなかったんだよ~。

その気遣いも虚しく、
カミッラの食べたいものが、
食べられないストレスは限界に達し、
その晩の夢遊病は今までのものと違う、
とってもホラーな症状だった。