ボタニスク・ハゲ(植物園)にて。
カミッラが自転車に?!
オスロでは、携帯電話を持っていると貸自転車が乗り放題らしい。
カミッラは公共交通機関の定期を持っているので、
バスで帰宅する際は私が彼女のアカウントで自転車借りてました。
今回は、またカミッラの夢遊病の話を。
過去記事→眠り勝負 コンフェデ杯
以前に、泣かれる、殴られる、悪魔の質問をされるなど、
何度も奴の恐ろしい夢遊病について書いてきたけど、
多分、日本語だと夜驚症という症状の方が近いかもしれない。
通常、脳と体を繋ぐ神経は睡眠中に切れていて、
夢を見ても体が動かないようになるらしいが、
カミッラの場合はそれが繋がったまま。
子供の頃に患った脳腫瘍の後遺症か、
父親も同じ症状があるというので、遺伝かもしれない。
まあ、同じ部屋で寝る人には迷惑な話です。
民家の庭に不法侵入するカミッラ。
そして私は、子供の頃から睡眠障害に悩まされている。
それについてはお医者さんに罹ったことはないけど、
体内時計が日照時間と関係していないらしいことだけは
分かっている。
ノルウェーに行く前の私は、布団に入っても2時間おきに
起き上がってしまうほど、病んでいました。
眠れないから、体はずーっとだるいし、脳みそも全否定モードに入っていて
カミッラが毎日送ってくれる写真としつこいノルウェー勧誘がなければ、
多分、今もあの医者のいい患者さんだった思います。
って構えてたのに、今回は問題行動はほとんどなかった。
今までは毎晩あった夢遊病の回数が激減したので、
実は少し気が抜けてしまいました。
最初の夢遊病は3日目の晩だったかな?
“明日、私は一体何をすべきか?!!”
と私に向かって問いかけてきました。
“9時に家を出てトイエンのプールでエクセサイズ、
12時半に私と植物園で待ち合わせ。”
と、奴の翌日の予定をそのまま言うと、
おとなしくベッドに戻って行きました。
この日、森へ行く予定を雨で中止にしたので、
自分のスケジュールに不安を感じたのでしょう。
その後、オーレスンに出発する前日の
“目覚まし悪夢”ともいうべき、
遅刻するから起きろと30分置きに私を起こすこともありましたが、
2時半に起きるということは、眠ってしまわない方がいいので
私には何の問題もなく、
イタリアにいた頃、朝寝坊の夜型生活だった私を心配してくれたと
勝手に解釈してます。
午前2時のオーレスン。緯度が高いからとっても明るい。
オーレスン最後の晩に起こった“エクソシスト症”という
ホラーな夢遊病がありました。
これは本当に怖かった!
写真の通り、夜中でも明るくて、夏休み中の不良が広場でかなり騒いでいた。
物音に敏感なカミッラは、人の話声の影響で夢と繋がってしまうことがあり
とっても心配だったんだけど、
翌朝4時起きというプレッシャーもあってか、
30分置きに私を起こす“目覚まし悪夢”のあと、
いきなり私の耳元でこう聞いてきた。
“アレをどこへやった?”
その声はいつものカミッラの声ではなく、
誰か違う人の声だった。
続けて・・・
“まさか、ぜ~んぶ食~べ~た~のか?”
怖くなった私はとりあえず返事をします。
“ハイ、全部食べました。”
すると、“嘘だ!”とシャウトしたあと、
私のカバンをゴソゴソ・・・
“見~つ~け~た!”
と、いつものかわいい声で言った後、
ボリボリと何やら食べ始めました。
ポテトチップスです。
食べ物にうるさいユールンに見つかると
またお説教されると思い、内緒で鞄に隠し持っていたのを
カミッラに見られたのでしょう。
食べているときのカミッラは、不気味なくらい無言で
その後おとなしく眠りに着きました。
その日、カミッラは食べたかった春巻きを
ユールンに止められたので、ストレスだったのでしょう。
オスロに戻ってからも、時々寝言でシャウトしてます。
“ユールンは健康主義者、食べ物にこだわる・・・”
哲学的なカミッラ
今回の訪問で、私は自分の過去を反省している。
カミッラの夢遊病の原因は、外部ストレスということは
十分にわかっていたのに、以前の私は彼女の辛いと思う気持ちを
常識的にしか受け入れなかったし、
彼女が私に対して良かれと思ってやってくれる
いろいろなことに感謝すらしなかった。
あの滅茶苦茶な料理も、私に振舞おうと頑張っていたのに
私は食材の無駄だと、自分で作ってしまったり、
一緒に旅行したいカミッラを後目に
自分の行きたい所へしか予定を立てなかったりと、
カミッラの善意を随分踏みにじっていたような気がする。
それに気が付いたのは、ノルウェーで目覚めた朝だった。
久しぶりにまとめて眠れた私は、スッキリした頭で
台所の掃除をしていたとき、お外は雨模様なのに
気分はすこぶる良かった。
“いつから日本人になったー!
あんたが、こんなに早起きするなんて信じられない!”
とカミッラが驚くのも当たりまえなのが、
私は今まで朝は、用事がなければ11時まで寝ていたけど、
カミッラは遠くから来る友達と一緒に過ごしたかったのだと
その時にやっと理解出来た気がする。
更に、いままで死んでいた自分が生き返ったような気もした。
6月のオスロは、12時になって薄暗くなる程度。
夜中の2時には夜明けを迎えるというのに、
明るい部屋で私は、良い睡眠がたっぷり摂れました。
日照時間と体内時計は私には、無関係だったということも分かり
皆が嘆いて睡眠薬や日照灯のお世話になる北欧でも
私には問題なさそうです!
その代わり、体内時計は自己管理が必要ですが・・・。