ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

RIP ブラザーアンフィン・ハラムよ永遠に!

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先週の日曜日、大好きだったハラム修道士が心臓発作により亡くなりました。
発作が起きたのはオスロ郊外、サイクリング中の出来事だったとの事です。
まだ62歳でした。
 
ハラムは信者から人気を集めるノルウェーカトリック界のプチアイドル。
キェルケカフェ(ミサのあとのコーヒー親睦会)でも、
彼が顔を出すと、沢山に人たちが群がります、
それを良く思わない同僚の修道士さんは、
彼にあまり長居をしないよう勧告していたという噂もある程の人気者。
 
 
ハラムの所属するドメニコ修道会豆知識(興味のある人だけ読んでね)
13世紀にドメニコ・グッツマンにより成立。
神学研究に熱心な勉学グループとして、修道会のメンバーにはトマス・アクイナスを初め数多くの神学者を輩出している。
当時幅広い層から人気があったフランチェスコ修道会に対抗する為、
教皇直々によるミッションを行い、魔女狩りとして認識されることの多い
異端審問などの拷問刑も担当していたので、
修道会のネーミングをもじって"Domini Canis(教皇の犬)"という
あまり嬉しくないニックネームで呼ばれることも多かった。
 
もっと知りたい人へ
 
おススメ映画: 
 
Luther→ルターが疑問を抱いていた免罪符の販売を行っていたのも、ドメニコ修道会のメンバーでした。
 
薔薇の名前謎めいた図書室を持つベネディクト派修道院に、
異端審問に来ていた小奇麗坊主もドメニコ修道会のメンバー。
重箱の隅をつつくような観察眼と巧みな話術、脅しにより、拷問、処刑をするシーンがあります。
 
 
白い修道服と黒いマントに身を包んだハラムには
他の修道士さんには感じない、とんがった雰囲気があった。
不良修道士とかパンク修道士とか、団体の中で少々異端なオーラが
たまらなく魅力的だったので、ノルウェー語が理解できない私も
ミサに足を運び、洗礼を受けていないために受け取ることができない
エウカレスティア(パンとぶどう酒)の代わりに祝福をいただいたりもした。
 
現在、彼のドキュメンタリー映画を製作中とのこと、
修道院での彼の日常を撮ったものを基に作られるのだとか。
 
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Arnfinn Haram(1948-2012)
オーレスン沖のハラム島出身、地元で神学を修得し、
プロテスタント、ルーテル派の牧師となる。
1996年にカトリックに改教。
オスロのドメニコ修道院にてちょっと変わった経歴と、
少々出たがりな性格が注目を浴び、執筆活動、及び講演会などが開かれていた。
 
ノルウェーはルーテル派のプロテスタントが大多数を占めるけど、
"信仰する気持ちは同じ"という思想を教えてくれた偉大なブラザーだと思う。
 
 
 
ここからは時間に余裕のある人だけどうぞ。
 
 
 
 
ハラムと私の10スウィートモーメント
例の中学生男子病のせいで、お話どころか目を見ることもできなかった、
そんな私にもラブリーな思い出が少々あります!
 
1.中世教会座談会 In ドメニクス修道院
終了後、ハラムと初めて言葉を交わす。
私が彼の故郷であるオーレスンに訪問したことを報告(しただけ)。
 
2.一年ぶりのノルウェー、日曜ミサを取り仕切るハラムが入場。
素敵な司祭姿にうっとり、思わず声を上げてしまった。
 
3.神学校にてハラムを目撃(彼は客員教授をしている)、
すぐ横にいた見知らぬ人に"Haram est!(ハラムがいる~)"とラテン語をつぶやく、
相手が大人だったので、"そりゃそうです、彼は教授もしてますから"と
冷静に対応してくれた。
 
4.ハラムの講義"カトリックの今"終了後、
修道院の玄関まで、見送ってくれたこと。
(鍵を閉めに行ったら、まだ居た私たちに帰宅を促進しに来たという説もあり)。
 
5.夕刊に彼の記事が載っていたこと。
 
6.フェイスブックで友達になってくれたこと。
その後写真を送ったのに返事をくれなかった思い出。
 
7.キェルケカフェで写真を撮りたかったのに、
厳格で彼を目の敵にしているブラザー・アルネが退去を命じたため、パードレ・ヨセフと写真を撮ったこと。
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パードレ・ヨセフ→
修道院で一番ご機嫌な修道士さんらしい。
隣にずっごく面白い顔の私が写っているので、
お見せしたかったのだけど、この日は氷点下だというのに、
マリンモノグラムの柄シャツにウールのセーターを着た
ヨハンネスStyleな私をお見せするのは、
ちょっと恥ずかしいので、また別の機会にでも。
(正統派スタイルはアロハシャツにセーター)
 
そして、その後こちらの修道士さんが親切にも
メールアドレスをくれて、親切なお手紙までもらってしまった。
 
 
 
 
8.ヨハンネスがハラムの聖歌隊に入れてもらえなくて
いじけてたとき。
聖歌隊に入るために訓練を積んでいる上、
ボーイソプラノともいえる高い声を持っているのに(ヒゲが濃いのでその心配はありません)、断り続けられているらしい。
出身地が同じこともあって、あまりよろしくない噂が私達の間で流れている、
実はすごい音痴なのではないか?とか。
 
9.ハラムがミサの前にパンツ姿で現れたことがあったと聞いたとき。
 
10.ベルゲン訪問は私といつも入れ違いになること。
 
 
・・・一体どのへんがスウィートなのか?
ちょっとしたことで嬉しい気分にさせてくれる心のアイドルだったんです。
いつかノルウェー語でお話できることを考えながら日々を過ごしていたのに、
突然いなくなってしまいました。
カミッラからこの悲報を知らされ、今も尚、全く現実感が湧かずに
まるで映画の中の話のような感覚です、
同じ空間にいながらも、いつも彼の空気に別世界を感じていた私には、
尚更そんな風に感じてしまうのかもしれません。
 
火曜日には埋葬式が行われるとの事、そしてその日にカミッラはママと一緒にナポリに来ます。
カミッラ直々のお願いで、ナポリでも彼のための特別ミサが行われます。
オスロまで行けない分、こちらに参加して少しでも彼の生きていた証を感じられたらと思う。
 
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ハラムとノルウェーカトリックに関する過去記事
 
ハラムのニュース、ノルウェー語です。