偏頭痛でなかなか寝付けないので
ちょっとばかり記事を書いてみようと思います。
前回の予告通り、どうしてプロテスタントの牧師になるという選択をとったのか?
オスロで起こった心変わりをお話させていただきます。
カミッラがカトリックに改教してから、
ノルウェー滞在中は毎日教会に行っていましが、
自由時間に立ち寄ったオスロ大聖堂で、たまたまミサが行われており、
その様子がとても崇高なものに見えました。
その後、神学校でもプロテスタントのミサがあったので参加してきましたが、
友愛に満ちた、懐かしい気分にさせてくるようなものでした。
通っていた時期があるんですが、
そこで歌われていた曲を使うので、初めてのルーテル派教会ミサでも
一緒に歌うことができます。
自分の家に戻ってきたような気分にさせてくれました。
それから・・・
これ、カミッラの通う神学校MFの広告です。
教会か学校で働きたい?
という見出しですが、
この学校は教会関係者になるための専門学校みたいなものです。
編入を決意した私は、この学校でどのコースを取るか決めなければなりません。
カトリックでこの学校に通っている生徒は、司祭を希望する男子生徒か
すでにシスターとして修道院生活をしている女性です。
カトリックの女性が神学を勉強したところで、その先に待っているのは
カテキズムと呼ばれる聖書を基本とした教育を
子供たちや洗礼前の人たちに教えることくらいで、
カトリックの世界ではこれを無償で行うことがイタリアでは通例となっています。
その前に!
鳥さんもいい迷惑だよな・・・と、一人で突っ込みを入れてしまう私が
どこをどう取ったら、子供たちに良い教育を行えるのか大きな疑問。
一方、プロテスタントのコースに入れば、卒業時に牧師免許が取れ
私が、この私が!へったクソな歌でミサを行うことができるのです!!
(もちろんミサ後の御片付けも)。
実際に牧師として教会で働くかは別として、
男性主権の世界を嫌っている私がカトリックの世界で生きるのは
後々問題が出てくる可能性が高く、
女性が活躍できる教会に属したいと強く感じます。
神学校の礼拝堂
だからと言って、カトリックのシステムを問題視しているわけではありません。
宗教は個人の自由です。
ただ、私は神父オタクであることには変わりはなく、
日曜日に修道士さんたちに会えなくなるのは悲しくて、
今までの楽しかった教会生活をふと、振り返ってしまいます。
修道院での映画鑑賞会
見送ってくれるホーヴァルと、個人的に話をしようと待っているカミッラ
日曜日の夕方、修道院で映画を見て感想を言い合うイベントですが、
ホーバルがポップコーンを豪快にいただく音にウットリ。
映画鑑賞中といえども、男はこうでなくっちゃね!
(女の子だって、皆が静かに努める映画鑑賞中に
でかい音で食べてたらかっこいいぞ)
この日、私はホーヴァルに背中を摩られ、肩まで抱かれてしまいましたよ!!
相手が神父でなかったら襲っていました。
多分、遠慮がちで固くなっている私に気を使ってくれたんだと思うけど・・・。
その後、カミッラに自慢してやろうと思ったけど、怒られそうだったので、
“肩を叩かれた”と表現をかなり変えて話したら、
青筋を立てて、異端審問にかけろと怒っていました。
神父が女性に触れること自体が罪なんだということですが、
どう考えてもヒガミでしょう。
…良かった、本当のこと言わなくて。
神学校の定期冊子
ガブちゃん、ヨーナックレ、ホーヴァルの三人が表紙で、
ホーヴァルの修道院生活についてのインタビューが載っています。
7人の修道士さんが暮らしていますが、皆それぞれステキな個性があり、
今回は全員に私の体の具合を心配されてしまいました。
・・・というのも、教会の聖地巡礼ツアーに積極的参加しているカミッラ、
同じ部屋で寝た人たちが夢遊病に悩まされたからでしょう。
アルネ神父はカミッラに直接、
私がゆっくり眠れるようにと指導までしてくれましたが、
それは逆効果です。
聖オラフのランチビンゴ
カトリックの皆さんと会食し、交流を深める金曜日のお食事会。
ノルウェーの食文化を知る良い機会で、私の楽しみの一つでもありました。
カミッラはここでボランティアをしていましたが、
心配したカミッラママがサポートに来てまで手伝っていたのに、
年々加速化するネトウヨ症状に主催者からお断りを告げられてしまいました。
カミッラはイタリアの大学を卒業したことと、
周りがそれに対して価値を見出してくれないことから
世界に対して怒り、周りにいる人たちに当り散らしています。
キリスト復活の喜びを交わすアルネ神父
この修道院では日曜日のミサのあとにカフェタイムがあり、
神父さんたちと会話することができます。
また、ハラム修道士が存命だったときには、
神学のフォーラムや講演会が開かれ、それに参加したりもしました。
ノルウェー訪問の思い出の中心的な部分にある
修道院とのかかわりが絶たれてしまうことは
とても辛いです。
でも、私がもっと心配しているのは・・・
一緒に通ったカトリック教会、一度はシスターを志望した私が
プロテスタントの洗礼を受けたら、
カミッラはもう、私と友達でいてくれないでしょう。
特に年々ひどくなる他者への無理解に
私の気持ちを汲むことは不可能に近いです。