ずっと憧れていた木造教会、この前の旅行でやっと実物を見ることができた。
ノルウェーは政治的にも経済的にもあまり重要な拠点ではなかった為、
他のスカンジナビア地方よりも沢山のものが保存されている。
数多くある教会のほとんどが、交通手段のないようなところにあり、
唯一自力でいけそうだったのがベルゲン近郊にある
Fantoft Stavekirke(ファントフト・スターブキェルケ)という、
市街地から5キロほど南にあったものだけど、
19世紀に他の地域から移動してきた上、1995年に火災にあっているらしい。
日本の伊勢神宮と同じように、素材を新しいものに代えていっても
建立当時と同じ建築方法と装飾で残されているので、
ありがたく見物してくることにした。
木造建築を保存する方法はこれが一番自然かな?
実はこの教会までシャトルバスが通っているので、乗ってしまえばすぐに着くけど、
昔の巡礼者のように歩いて向かうことにした、5キロだしね・・・。
住宅街と広大な公園の通って、若者たちが散歩を楽しんでいるのが見えてきた。
教会のあるFantoftはベルゲン大学の学生寮もあるので、
目的地が近いのがわかる。
他にも散歩している人がいたりして。
中の屋根を支えている構造を見たかったけど、観光シーズン以外は閉鎖中。
でも、ずっと見たかった教会が見れて嬉しい!
この教会に辿り着くまで、土地勘のない場所をずっと歩いてきたので
時間もかかったし、カミッラのイライラで気持ちも消耗したけど、
ここに来たことは、ベルゲンに縛られなくなった瞬間だったかもしれない。
教会の近所にはベルゲン大学の学生寮があるので、道は整備されているが、
奥に進んでいくと林が広がり、道がなくなった。
木々の中をひたすら歩くと、突然現れる教会、
裏手には駐車場があったので、観光コースの一つになっている模様。
トイレもあります。
教会同様閉鎖中。
北欧の教会にはなぜか
トイレつきが多い。
ミサの最中に用を足す人が多いからか、
法律で設置が決められているのか、
駅やデパートのトイレが有料なので、
いざというときは教会のお世話になる。
掲示板。
教会はヨーロッパ内では
欠かせないコミュニティーなので、
教会行事以外のお知らせも
あったに違いない。
子猫の里親探してますとか
求むベビーシッターとか
売ります、買います情報とか?
教会が閉鎖されていた分、見たかった装飾品はベルゲン大学の
歴史文化博物館で楽しむ。
これは説教台の一部かな?
右のみみずくと左のファンタジーな
動物の装飾が
北欧神話の名残を残していて
なかなか興味深い。
こちらはドアに装飾された浮き彫りかな?
北欧の人たちは、辛抱強い浮き彫りが得意なのか
このような装飾品は歴史博物館に行くと
必ず見ることができる。
いつもながら、保存が大変そう。
樹脂を流し込んだり虫除け用の薬品につけたり・・・
修復技術を身に付けたら、
ノルウェーで仕事があったかも?
先日記事にしたオーレスンは
大火災で街のほとんどが消失しているので、
もしかしたらあったかもしれない木造教会も
でしゃばりイギリス人考古学者が
手をつける前に証拠が
文献ごとなくなってしまいました。
カミッラが教会裏の崖から転げ落ちたり、近所の学生寮から出てきた
むさ苦しい男子学生グループを見て"若者の香り"と不気味つぶやいたり、
色々なことで私も疲れが頂点に達したけど、
教会を見て喜び、そして、それに対する興味が急に無くなって行った。
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教会見物記事はここまで、ここからは私のモノロゴ(独り言)です。
やっと考えがまとまったので少しだけ書きます、
ベルゲンに対するモヤモヤなので、お付き合い下さる方はお時間と
寛容な心をお持ちの方のみ、お願いします。
スーパーで一休み、奥に見えるのが学生寮。
ここから市街地に戻る途中、写真を撮りたいポイントが沢山あったのに、
いつものカミッラ病で、工業地帯の道を通って戻ることになり、
急に悲しくなってしまった。
私はベルゲンに来てから気持ちがちっとも休まらない。
内緒話だけど、教会に向かう前、
日本人とその友達の北ヨーロッパ人たちに混じって
ティータイムをしてきた。
英語での会話だったが、その様子がとてもぎこちなく見えた。
何のリアクションも会話の脈略もなく、10分ほどで解散だった。
友達に関する考え方が違うのかもしれない。
カルメンと過ごすとき、無言で何時間も過ぎていくこともあるし、
同じ空間を共有していて、ぎこちなく感じることはないのに、
あの空気の重苦しさと無意味さに私は驚いてしまった!
無意味な会話は結構楽しかったりするのに、
あの雰囲気はイタリア風に言うとお葬式。
申し訳ないが、私はイタリアで楽しい時間を過ごしていることや
身勝手さがグレードアップしてしまったことに気づいた。
その様子が自分にとって激しい拒絶を感じさせるものであり、
妙な苛立ちを感じていると、
ヨハンネスが私に言ってくれた、あの寛容な一言を思い出し
聖書の言葉と合わせて泣いてしまった。
私にとって必要なものは、スキー板やリンゴやバナナ以前に
人との対話だったのかもしれない。
カミッラの泊まっているホステルに着き、
同じく宿泊客のパウラを見ると安心した。
彼女はベルゲンで介護士をしているが、
ポルトガル国籍がネックになって
何ヶ月も家が見つからない。
いつも台所で不動産情報を検索している。
彼女と話していると、イタリア人や
スペイン人もやってきた。
初めて話す人たちだけど、
普通に会話が始まって、
皆でお茶をして、
夜中の3時になってしまった。
この日は私がベルゲンに対して執着しなくなった日である。
人生の楽しみを何処におくのかは人それぞれだけど、
私は誰かと有意義な時間を過ごすことに重点を置いているのだと思う。
少し前に、カルメンの昼食会に来たデッタがこんなことを言った。
"どんなに非生産的な人でも、会話を生産することができる。
それによって、誰かの心に何かしらの効果を生み出す。"
その言葉を少し信じてみようかな?
Whatever you want
Culb 8
ついでのついでに、私がベルゲンに行ったのはKOCのアイリックや
アーランド君と道端ですれ違う為に行ったのではないということも書いておく。