ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

カンパーニャの遺跡

前回に続いて、イタリアの秘境カンパーニャについて少々。
秘境って、ただ山に囲まれていて、遠くから見えない街なだけ、
ちょっと歩けば、海が見えるようなところで住まれ育った私には、どうも息苦しい・・・
 
今回は街の住人がローマ人の遺跡と言い張る、丘の上にある廃墟をリポート。
 
廃墟からの眺め。
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集合住宅なんかも結構見えるので、意外と人口も多かったりして?
 
閉塞感は住民の心にもしっかり働いている、
市役所勤務の一人が、街の資金を横領したにもかかわらず、
街の恥をさらしたくないという理由で、通報せずにその犯人は今も堂々と市役所で働いている。
更には、この町には霊能者がいた!のだが、
いんちき商売がばれて若者に射撃されて亡くなっています。
 
人口の割には変わったエピソードが多い分、
町民はとっつきにくい。
 
 
遺跡にはある程度の地点までは車でのぼり、その後15分ほど獣道をひたすら登って行く。
ふざけてサンダルで行ったり、してはいけない。
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当時はまだ考古学を学ぶ前だったため、折角の遺跡もよく観察できず。
 
建物を形成している4つの壁の中に仕切りのような壁がいくつかあり、
大小複数の部屋があったのだと思う。
比較的良く残っている壁には見張りっぽい窓も見えるし、
建築法はローマ時代に使われたものであろうが、
これ、どっかで見覚えがあるんだよね・・・
家の近所のアレキ城とか?
 
 
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かなり広いので、見張り台としてだけでなく住居としても利用されていた形跡あり。
でも・・・ローマ人だったら、もっと解放的な設計をするよな、
オプス・インチェルティウム:石の積み方はしっかりしているけど、
大小混じった石と詰め込んだような隙間などを見る。
観察し始めると、城の立地条件や建築法がどうしてもローマ時代とは思えない、
ローマ時代、常識から言ってこんなところに城を建てるか?
その必要性は全くなし!
 
 
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最近になって、気になり始めたので少し調てみる。
 
やっぱり私が想像したとおり、ロンゴバルド族が土台を作っていた。
川を遡ってくる敵を見張る為に見張り台として建てられ、
その後ノルマン人やアンジュー家により付け足しが行われるという、
サレルノ県における中世の典型的な建築スタイル・・・
 
地元の人の話は当てにならない。
だけど、ローマ時代の遺跡だと信じきっている町民に
中世のものだと言っても聞かないだろうな・・・。
 
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納得といえば、こちらの地方の方々、人口比率に対して金髪、碧眼が多い。
ロンゴバルド族は元を辿るとスウェーデンバイキング、なるほどなるほど。
更にはローマ時代、この町に住居跡らしきものはないのだから、
街自体の起源は中世、ロンゴバルド人と言い張ってもいいと思う。
青銅器時代には少しだけすんでいた形跡があるので、エトルリア人もいたのかな?
 
大学に入る前に行ったのがとっても残念。
 
 
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ついでに、遺跡の丘から見えた
1980年カンパーニア大地震
痕跡。
 
教会とその中庭、
残っているのは柱とアーチ部分、
発生から随分たっているのに
まだその跡を残しておけることが
ある意味すごいかも。