ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

お墓の話

発掘に当たって、気になる場所がある。
 
お墓である。
 
どうしても掘り返したい気分に襲われるのだが、私は死体愛好家のネクロフィリーではない。
 
こちらは教授や助手直々の手により堀出されることが多い。
それは時代を超えた菌やバクテリーから他所のご子息様を守るため?
 
プーリアから戻り、中世考古学最後のテストに手を付け始め、
この謎が解けた。
 
お墓を掘ると言うことは、いつもの練習用遺跡と混同してはいけない
ちょっとのミスがその墓、その地域全体の仮説を混乱させる可能性が高いからだ。
 
タフォノミア(Tafonomia)という考古学用語で表現されるように
お墓の状態を状況や生物学、化学、地質学などを含めて分析する。
 
そういうわけで私は人体解剖学、病理学まで勉強させられている。
 
ここでイタリアに見られるお墓を紹介。
カッコの年代はお墓のスタイルの年代である。
 
エトルリア人(紀元前9世紀頃)
 
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こちらはエトルリア人の墓。
 
見ての通り、立派な寝室のである。
エトルリア人は死後も魂がとどまり生き続けると考えていたため、
生きていたときと同じようにお墓も住宅の機能を持った造りをしている。
 
 
エトルリア人(6世紀頃)
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そんなエトルリア人の墓もギリシャ人との交流、交易により、いわゆる中産階級が生まれ
彼らが好んだ墓のスタイルは集団墓地。
規則正しく並んだ墓にお骨を収めていく方式は日本と似ている。
彼らはギリシャ文化の影響で火葬がメイン。
 
 
古代ギリシャ人(紀元前5世紀)
 
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こちらはパエストゥムにある創始者の墓。
ギリシャから植民地を求めてやってきた一団、彼らの功績が新ギリシャを築いたと、
死後、祭られ作られた墓である。
 
こちら、中身はつぼに入った米と蜂蜜、いくつかの副葬品のみが出てきただけで、
本物のの人骨は見当たらなかったそうだ。
それにはとっても興味深い裏話があるのだが、それはまた次回。
 
ローマ時代(1世紀ごろ)
 
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キリスト教が広まり始めるが313年の宗教の自由発布までは
共同墓地、カタコンベを集会所とし、信者たちが集まった。
 
 
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こちらの壁画に注目していただきたい、これはキリストを主題に書かれた作品である、
見てわかるように、スタンダードなキリストの姿ではない。
というもの、いくらカタコンベが地下墓地とはいえ、ローマ執行官に見つかる危険性があったため、
ユダヤ教古代ローマ信仰のカタコンベと似せたキリストを描いていたのだ。
 
良い羊飼いという例えで知られるキリストだが、この作品はそれを描いたものである。
これでもし、点検が来ても"良い羊飼いの絵です"と堂々と言える。
 
 
 
中世前期(6世紀~11世紀)
 
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骨の上に置かれた瓦のようなレンガで遺体を覆っていた。
町から人が消え、山間部に身を隠しながら少しずつ新しい村が誕生した時期である。
この時代に欠かせなかったのは教会の存在、墓も教会周辺に埋められているため、
その遺体の数と教会の建築様式から当時の人口密度を割り出すことが出来る。
 
 
だからなんだ?
 
お墓のお話でした。
 
おまけ:
骨のポジションはとても大切な要素で、そこから埋葬されるに当たっての典礼、儀式、
なくなってしまった棺おけの存在がわかるので
無闇に骨を動かしてはいけない。
少し前の考古学者は写真を撮るために骸骨の位置を整理する傾向があった、
そのため、現在はそういった過去の写真を見て、
元のポジションを推測する動きがあるそうだ。
 
更には胆石などが残っている場合もあるので、骨を動かしたあともその周辺の土を
細かい網にかける必要があるそうだ。
 
なぜ、骨が残ることが出来たのか、また、副葬品はなぜ朽ちずの残ったのか、
こちらは地質学が関わってくる。
 
気が遠くなりそうなお墓の発掘・・・
考古学者になれなかったら探偵になれそうだな。