ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

ローマ、その後、ロンゴバルド族

ローマ帝国が崩壊してからというもの、ゲルマン民族流入により、
ローマ文化圏は他の習慣を受け入れざるを得ない状態となるわけだが、
その中でもそんな変化に大きな影響を及ぼした民族がいた。
 
それはロンゴバルド族といい(日本ではランゴバルド族のほうが主流の呼び方)、
6世紀半ばに北イタリアを占拠し、ゲルマン文化を残してきた。
 
今回はそんな民族の紹介である。
 
イメージ 1起源はデンマークとの繋がりが深いスウェーデン南部といわれており、西暦1世紀ごろ、新たな土地を求めて南下して行ったそうだ。
彼らに対する記述から、北欧との共通点が見られる、
ロンゴバルドと言う単語はイタリア語で
LONGOBARDOと綴るのだが、LONGOはゲルマン諸語に見られる"長い"と言う形容詞を意味する。
彼らがこの名で呼ばれた由縁は長い刀を持っていたとか、長い髭を生やしていたなど言われている、
あまりにも記述が少ないので特定できず、いくつかの考古学的証拠などで類似性を見る事しか出来ないのが現状である。
ローマが本格的に弱り始めた頃にはパンノニア(赤で囲った部分)に居座り、そこからチャンスを狙っていたようだ。
この民族は他ゲルマン民族同様、ローマ帝国側の傭兵として戦い、最終的にはイタリアをのっとることに成功した。
 
スウェーデン南部、スコーネ地方は北欧でも肥沃した地方として、農作が盛んなのだが、中世の温暖期まではまだ遠いため、生活のしやすい土地を求めていたのは想像に容易い。
ついでに、中世の温暖期により人口増加したスカンジナビア半島では、活動が活発になり、ヴァイキング大航海時代が始まるという説もある。
 
(地図はWikipediaより借用。)
 
476年、ローマ帝国が決定的に崩壊すると
残った東ローマ帝国が政権を握ることになってはいたのだが、
最初は西ゴート人が、続いて東ゴート人がイタリアを占領する形となった。
それを奪回(?)したのがロンゴバルド人である。
 
その後、ミラノ北部、パヴィアを占領し、徐々に南へ歩を進める。
 
南部では東ローマ帝国領となっていたが、迫り来る東ゴート人、
ヴァンダリ人の侵略を食い止めるべく援軍を送る。
約20年に渡る戦争にはパンノニアに居座っていたロンゴバルド族も傭兵として参加していた。
戦争の援軍として南イタリアへ派遣されていたロンゴバルド人は
原住民(ローマ人)の邪魔にならないよう、偵察し、土地のよしあしを見定め、
少しずつ移民していった。
 
イメージ 2
 
 
右の地図を見ていただこう。
青い部分がロンゴバルド人の占領した土地であり、
オレンジの部分が東ローマ帝国に残された土地である。
右上から左、ローマに掛けて伸びるオレンジの地域は
東ローマ帝国に残された境界線である。
右上、ラベンナは軍事の拠点として、機能していたことや、
東ローマ帝国からアクセスしやすい場所に位置していることに
気づいていただきたい。
 
最終的にはここも占領され、南部もつま先部分まで
支配されることとなるのだが、
その中でもなぜか支配を逃れたナポリが存在する。
 
北部では武力により政権の奪取が行われたのに対し、
南部ではまるで現在に見られるような移住システムで
入植が始まった。
実際、この民族の残していったモニュメントはローマ時代のものを再利用した形のものが多い、
後に南部に上陸するノルマン人は破壊と再復興を行ったのに対して、南の移民組ロンゴバルド人は実に慎ましやかである。
 
地図はウィキペディアから借用しました。
 
 
 
 
イメージ 3
中世考古学イタリア編では左写真のような十字架やベルトのバックル部分など、ローマ時代のものとは明らかに違うものが出土したことから始まる。
 
ベネディクト会の修道士であり、ロンゴバルド族の血を引いていたパオロ・ディアコノは
"ロンゴバルド族の歴史"を書き残している。
これは同時代における貴重な資料だ。
 
南イタリアで中世考古学と言えば、古代末期からこのロンゴバルド族の支配する時代の変化をつつく。
 
彼らはキリスト教アリウス派に属していたのだが、
王であるアジルフォがカトリックに改教したのをきっかけに民族全体がカトリックとなる。
それに一役買っているのは王妃であったテオドリンダと友好関係のあった教皇グレゴリウス1世である。
テオドリンダの聖書は宝石や金で細工されていて、
西洋美術史には欠かすことの出来ない存在である。
 
 
 
 
北のロンゴバルド族はフランク族で信心深かったピピンにより
決定的に土地の奪回が行われ、その後、カール大帝により、南に築かれたロンバルド公国も
事実上の政権を失う。名称や政治体型などは保たれたものの、フランク族の監督下に置かれていたのだ。
更にはノルマン人オートヴィル一家の上陸もまじかに迫り、
ここでこの民族は一旦途切れる形となる。
 
彼らがイタリアに残したゲルマン文化は現在もいろいろなところに見ることが出来る。
文字の世界で言うなら、まずは地名である。
Sala、Gualdo、Gaggio、Fara など、ゲルマン語を語源とし、
Sondrio、Guastella、Gualtieri など、ロンゴバルド起源とされる地名だ。
人名ではLamberto、Umbertoなど、私のホームタウン近郊の小さな街では未だにロンゴバルド系の
名前を簡単に探すことが出来る。
そのほか、日常的に使われている単語にもその要素を見ることが出来るが、今回はこれまで。