ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

6世紀のイタリア 中世ラテン語文学

6世紀のイタリアといえば、476年事実上のローマ帝国崩壊からわずか24年、
ショックから立ち直れぬ状態であった。

例えて言うなら、南アメリカ人がアメリカ合衆国に押し寄せ、
オバマ大統領を監禁し、天下を取ったつもりでいるところ、
中国が武装してオバマを救出、その後交わされた条約で
華人民法が世界に発布され、地球の国家という国家が
共産主義の下、財産が没収され・・・・って考えてみてください。

6世紀のイタリア及びヨーロッパ諸国はそういう状態でした。

ローマの傭兵隊長であった、ゲルマン民族出身オドアクレは最後のローマ皇帝となる
ロモロを幽閉し、ローマののっとりに成功、しばらくの天下をかみ締めた後、
東ゴート人の襲撃によりイタリアを手放すことになる、
この東ゴート人というのはビザンチン帝国(東ローマ帝国)に
居座っていたゲルマン民族の一派で、皇帝ゼノンとの間に領土争いが起こっていた。
皇帝ゼノンはこのオドアクレ討伐とイタリアの政権及び領土を東ゴート人と
取引することにする、こうすることにより、ゴート人を自分の陣地から厄介払いできると
考えたからであろう。

東ゴート人を指揮するのはテオドリック王。
オドアクレを見事に捕まえ、約束されていたイタリア王となる。
首都をラベンナに定め、イタリアを治めるのだが、
ビザンチン帝国の皇帝がユスティニアスに変わると宗教の問題でたたかれるようになる。

ゲルマン民族キリスト教アウリス派であることがほとんどであり、
東ゴート人も例外ではなかった。

少しずつ領土の拡大を図るユスティニアス、イタリア奪回にかかったときには
すでに北アフリカ、ペルシアを領土に加えた大国となっていた。

東ゴート人テオドリック王はすでに亡くなり、王位は婿であるアタラリックへ、
ここでゴート戦争へと突入する。
絶対的に優勢であったビザンチン帝国にイタリアのほとんどを持っていかれてしまう。
ちなみにこの戦争でビザンチン側につき、イタリアに赴いたゲルマン民族ロンゴバルド族は
後に南イタリアへ移住に近い侵略をしかける。

これが6世紀のイタリアである。
混乱また混乱の時代、心のよりどころは教会に求められる。
国家が成り立たない土地で、一番頼りになるのは安定しているカトリック教会の
システムと避難所として一般民衆を助けていたことから人々は救いを求めて教会に一票だった。

長い前置きを終え、中世にラテン語で書かれた書物が
この教科の核となるのだが、ここで注目すべきは社会情勢の不安と
心の平安を求める人々によって必要とされていたのは甘ったるいロマンスや
気難しい哲学でなく、天国へ近づくためのマニュアル、聖書や布教活動の後に迫害され殺害されてしまった聖なる犠牲者、聖書を広めた人々の功績を称えた書物が好まれた。

そんな時代、読み書きができるのは貴族や教会関係者がほとんどである。
書かれた書物はもちろん読み書きのできるものの下へと向かっていく、
つまり、現在のように著作権やお金儲けを目的として本を出版することはなかったのだ。
投稿ではなく、誰かに頼まれて書く、せっかく書いてもそれはお金にならない仕事である。
この時代の物書きはほとんどが、修道院生活を送るもので12世紀までは
宗教と関係の無いところで歴史、百科事典、なかには皇帝を称えた詩などが挙げられる。

6世紀のイタリアでは東ゴート王テオドリックに仕えていた執政官(Masgister officiorum)
ボエティウスとカッシオドーロを紹介しよう。

ボエティウス
ローマ貴族出身であった彼は言語や学術に優れていたが、反逆罪の疑いで投獄される、
牢屋の中で書いた文章というものが、中世最後の哲学作品でキリスト教色のないものである。
”De Consolatio Philosophie”哲学を一人の女性と見立て、筆者との会話形式で繰り広げられる作品である。この作品では「人が持つ宿命を終えて初めて心が休まる」という宗教を超えた思想が現れる。
それ以外の作品はキリスト教関係のものである。
三位一体やカトリックの信義をテーマにいくつかの作品を収めている。

カッシオドーロ
ボエティウスのあとに執政官に着くが、ビザンチン帝国との戦争により、
テオドリックの王国は崩壊してしまう。
その後、イタリア南部のカラブリアにて修道院ビバリウムを建設、自らも僧となり、
一生を暮らす。
彼の作品で特筆すべきは
”ヴァリエ”に収められたゴート人の歴史である。
オリジナルは消失してしまったため、ヨルダネスのジェティカを通して内容を知ることができる。
そのほかにも言語学や聖書にコメントを残している。

***この時代に至るまで、中世ラテン語文学の基礎となる
カトリックの諸聖人を紹介したいと思う。

アウグストゥス
古代とキリスト教文学に生じるジレンマを上手に融合させた人物である。
古代の文学には恋愛、哲学、異教神による人間臭い物語が多いのだが、
キリスト教において、タブーとされる行為が多く、それを民衆に楽しく読ませることは
好ましくないのだが、インテリ層にはとても興味深い内容のものも多かった。
アウグストゥスの教えでは思想は一つのところより発するという唯一性を主張する新プラトン主義と禁欲をよしとするストイチズムを融合し、これをキリスト教と結びつけ、見事なジレンマの解消を実現した。

聖ヒエロニムス
ギリシア語で書かれたオリジナルの聖書をラテン語訳し、西ヨーロッパのキリスト教化に一役買っている。

聖ベネティクトゥス
カトリックにおける修道院生活の基盤を築いた人物。
それまで一人で神に祈りをささげる修道生活(エレミティズム)から
集団生活による神への献身(チェノビズム)へと変えていく。
後者は良く知られている修道院生活であるが、6世紀後半、彼から一歩遅れて現れた法王、
大グレゴリウスにより法的に定められた。