ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

オスロで南イタリアにまみれた夜

 
 
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見覚えのあるパンと葡萄酒セット。

聖オラフ青年会のパーティで知り合ったイタリア人に誘われ、
イタリア語ミサとイタリア人だけのパーティに“招待”されました。
 
“招待された”と強調するのは、聖オラフ青年会のパーティにて、
イタリア語ミサの主催者から“招待客”と言われないと
会場に居にくいくらい、
私たちはただ飯を食べに来た怪しい奴にしか見えず、
イタリア語を話す分だけ、
不気味なゲルマン人と東洋人の二人だからです。

イタリア語のミサは現在月に一度行われ、
オスロイタリア人の洗礼や初聖体授与、堅信の儀なども
その時に行われるようです。

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教会はノルウェーのシンプルな教会なのに、
中にいる人たちの肥満率が高く、良く響く聖堂内に声がこだまして
かなりの騒音。
教会付近は見覚えのあるような、
暗色のスーツを来てタバコを吸うおっさんたちと
顔の怖いおばさんたちがウロウロしていて
そこから漂う香水の香りがすごすぎて息ができないほど臭い。

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ミサが始まる前、何故か日本人のオバちゃんが一人混じっていて、
私に声をかけて来た。
彼女はオスロに住むオバちゃんで、認知症を患っている神父さんを
送りに来ただけだったそうだが、親切にも連絡先をくれたので
滞在中に一度会いましょうということになった。

イタリアのミサはノルウェーで行われるミサより短く、
初聖体授与式と洗礼式も含めて、一時間もかからなかったように思う。
ミサはインド洋の島出身のバラック神父が行い、
この日に初めてエウカレスティアを受ける子供たちに質問する。

“君たちがどうしてここに居るのか、わかっているかい?”

一瞬、私に質問されたのかと思ってドキっとするような質問だったが、
子供たちは素晴らしく、明確に答えた。

“勿論です、神父様、食事に来たのです!”

その答えにバラック神父は少し笑ってから、
子供たちに聖体を受ける意味を優しく説明し、セレモニーは進んでいった。

とっても効率良く進む式に、変なところで合理的なイタリアを思い出した。

ノルウェー人で司教の座を狙っているポール神父がカンペを持って
長~い挨拶をし、その頃にはマダムたちたちがパーティの準備を始めようと
教会の出入り口付近が少しざわざわしていた。

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ミサが終わる頃に教会の出入り口が立ち話する人たちで混雑するのは
わかっていたので、私も早めに出て行って、パーティ準備でも手伝おうと
教会から数十m先にあるパーティ会場となるマリアゴード館へと急ぐ。

会場の入り口で開錠を待っている人たちの中で、
久しぶりに感じる、痛い視線・・・
“誰だこいつ?”って思っているなら聞いてくれ!

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イタリア人のパーティで期待したいのは食事。
でも、ナポリじゃないから、肝臓のペーストカナッペとか
ニセモッツァレラのハム巻とか、おつまみ系が多く、
パスタ類は凄い勢いで消えて行った。
食べ物が足りなくなるのはナポリだったら、失礼にすら値するのだが、
ここに居るのは北イタリア人が中心のようだ。

私は列を乱してまで自分の食べ物を確保する気はなかったので、
人がブッフェから引くのを待って、取りに行った。
ここで、ベジタリアンの私が食べることができたのは
ナスとパプリカのトマト煮込みとアーモンドクッキーだけだったが、
どちらも絶品だった!

食べていても、周りの視線が痛い。

思い切ってここに居る経緯を言ってしまおうと
同じテーブルに座る人たちに聞こえる程度の音量で話してみた。

“東洋人がイタリア語話してて変だと思っているでしょう?
私は日本人です、イタリアの大学で勉強していたので
イタリア語が話せるんですよ。”

と、話し出したところで、会場の半分くらいの人たちが立ち上がって
“NO!”と、思いっきり否定した。
この“NO!”は私の存在がここで違和感のあるものではないという否定なのだが
確実に“私は人種差別者ではありません”という主張を含んでいる
わかりやすい人たち・・・。

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私には、このイタリア人密度の高さの方が怖かった。
南イタリアと北イタリアである意味テーブルは分かれていて、
私たちは南チームにいつの間にか座っていた。
 
イタリア人の男性の方は日本はいい国だと話を持ち掛けてくるが、
現在の若者が使い捨てにされたり、
非人道的な職場環境や国の借金が恐ろしい金額なのに
企業はとっても潤っている話などをすると、
途中で席を立って行ってしまう。

南の女性たちは基本的に閉鎖的なので、
私はまた大勢の中の孤独にいることになりました。

ここはノルウェーなので、その中でもやっぱり孤独感があるのか、
本日の主役の一人、初聖体を受けた女の子がサレルノ出身ということで
気に入られてしまって何かと引っ付き虫をしてくれた。
まだノルウェー語は話せないというから、不安を感じているのだろう。
パパとママは世間話に忙しいそうで、一度もその姿を見ることはなかった。
親も心細いから、友好を深めて地盤を固めておきたいのだろう、
南イタリアではよく見られる現象だ。

食事がひと段落すると、今度は神父さんたちが登場して挨拶を
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イタリア語の話せないポール神父はまたカンペです。
司教を狙っているなら、イタリア語は必須言語だよな?
ラテン語はできるはずなので、
少しの努力で絶対話せるようになるはずなんだけど・・・。
左にいるかわいいお爺ちゃん神父は日本在住経験もあり、
とってもきれいな日本語でお話されます。
右で控えめに微笑んでいるのが、バラック神父です。

写真を撮っていると、カミッラの姿が見えません!
私を置いてどこ行った~!
って、台所でまた“お手伝い”と言う名の邪魔をしてました。
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私も居場所がないので、一緒に片づけを手伝っていましたが、
イタリア人のオバちゃんたち、とっても怖い・・・。
“その皿はうちから持ってきたものだから、洗わないで!”
“ちょっと、その器は私のものだから、触らないで!”

“あ~仕事が増える、手伝いなんてしてくれない方がいいのに。”
に加え、フィリピン人という単語を強調して連発する具合、
私は彼女たちの中でフィリピン人になっているらしかった。

イタリア人から信頼を得るのは本当に時間が掛かるということ、
十分知っているけど、私は泥棒ですか?
ヒステリックなババアたちを黙らせるのは男たちで、
ナポリとプーリア州のムルジェ出身という最悪の南男コンビが
シャンパンを開けに台所に来ると
“イタリア人に交じって楽しい仲間が二人もいるのに、
イライラするのはなしだよ!
と、女性たちを黙らせていました。

その後もこの二人は台所で飲み続け、
私たちにタラッリ(南イタリアプレッツェル)やシュークリームを勧め、
続いて、子供たちからの喉が渇いたから水くれ要求にこたえている間に
パーティはお開きになりました。
 
会場を後にする際、ゴミ袋一杯のワインの瓶を捨てるよう申しつけられる。
これ、イタリアでは超タブーです。
客にゴミを持って帰すのは冒涜に近く、
女性陣からのささやかな嫌味なんでしょうが、
ルンルンのカミッラと二人で重いごみ袋と
そこに入りきらなかった酒の瓶を両手に持って
“最強のドランカー、酔っぱらってます要注意!”的なビジュアルに武装した私たちは
まだ明るい11時のオスロを上機嫌でガラス捨て場を探しながら歩いた。

ひどい扱いを受けながらもハッピーでいられたのは、
とっても残念だけど、人種差別や人を損得だけで見るような人たちを
対等な人間として見ていないので、
南ババアたちの態度は私にとって、時代遅れの笑い話になってしまうのだ。
それに、ノルウェーでの東洋人はラテン系民族より
勤勉で誠実なイメージがあるので信頼が得やすく、
思わず特することすらある。

そんな南文化の悲しい笑い話に涙が出るほど笑いながら
アパートの入り口に着くと、丁度鍵を開けて帰宅しようとしている男性がいて、
凄い勢いで入っていった後、急いで扉をしっかりと閉めていた。
その素早い防犯動作から、私たちが相当酔っぱらっているか、
薬で元気になっていると勘違いしたいたに違いない。
バーに寄っていたら、確実に追い出されていただろう。

ノルウェーで懐かしい南イタリアを体験するという
とってもお得な日でした。