ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

ヴィーガンでもソーシャルライフ

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上の写真は木更津のネギ坊主・・・
ゴールデンウィークに久しぶりに車を運転して行ったけど、
まだ収穫できそうになかった。
今年は土壌が変だとか、気候がおかしいとか、ネギ類は不作らしく、
いつもよりずっと小ぶりな玉ねぎをもらっただけで、土曜日にお邪魔した際、
写真のネギ坊主は既に収穫後だったので、
どうなったのか聞くのをすっかり忘れました。
育ちすぎたインゲンマメをもらってくれと、
豆がごろごろしている鞘インゲンもらいました。
イタリアのものと似ていて、ジャガイモとサラダにしていただきました。
夏のオイシイ冷たいお総菜です。

実は就活で気持ちの整理が追い付かないのに、参議院選挙ですよ!
安倍がガリガリ君を経費で落として秘書に振舞うほっこり話や
参議院選挙で憲法改正を争点にしない自民党とか、
精神論で政治をやろうとしている心が鬼のおっとりババアの政党とか、
たっぷりお金をもらった甘利は追及されずに政界に戻ってきていますが、
イギリスのEU離脱とか、
そんなことより高知東生覚せい剤事件の方が大事ではないですか?
政治よりタレントの薬物疑惑の方が大切ですよね?

あまりふざけていると本題に入れなくなるので、
ここら辺で、ベジタリアンライフのことを少し。


少し前にネットでベジタリアンの社会生活について書かれていたものを読みました。
イタリアでも日本でも、菜食主義は面倒くさい人だと思います。
実際、私が菜食主義になる前にも、肉だけ食べたくないという人がいて、
その人を食事に招待したとき、かなり気を使ったし、
その人が参加すると言うだけで
メニューを一から考え直すというのが、結構大変でした。
 
現在の私はその人よりずっと面倒くさい
動物性のものを一切いただかないヴィーガンです。

そんなヴィーガンが社会生活を送る上で、
ヴィーガンでない人たちとどのように繋がりを持つべきか
ということが書かれていました。

まあ、難しくはないです。

要約すると・・・

食事にお呼ばれしたときは、自分が食べるものを用意してくること
周りに菜食主義を押し付けないこと
一緒に過ごしたいことをわかってもらうこと

この三点に気を付けましょうというものでした。

実際、私は建築の学校の人たちとは、食事に行ったり、
会社で強制されない限り行かなかった飲み会にも参加しました。

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“あの人は菜食主義だから、食事には来ないだろう”

いろいろな場面で知り合った人たちが勝手に推測して
断られるのを前提に食事や飲み会に誘って来たりします。

そして彼らの期待通り、基本的に断ります。

何故かと言えば、私がシャイで知り合ったばかりの人と
普段しない外食をするのも、
酒に酔っぱらったところを見せられるのも嫌だからです。

つまりは私が嫌な奴で集団に属するのが苦手だから行かないだけで、
菜食主義が理由ではありません!




 

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学校に通っていたときの私の昼ご飯です。
天気の良い日は西武の二階にある屋外通路の一角で食べてました。
パンにはドライトマトをふやかしたやつときゅうり、オリーブを挟み、
水分補給にはチアシード入りの水です。

派遣社員で稼げた20年前とは社会も私の年齢も違ってしまって、
とても厳しい世界になっていることを実感しています。
建築系の勉強をしていた頃は、周りの人たちがとっても優しくて
私は日本に住むことやこれからの仕事に対して希望を強く抱いていたのに。
オリンピックだとか多様性とか善さげなことを口にする団塊の迷惑世代からはいつだって私の偏食(と言うことにして丸く収めないと面倒くさい)を正すよう言われています。
私が食べ物にこだわりを持っていても、一緒に食の趣味が違う人と時間をシェアしたいと思ったら、お互いの食事を尊重しながらお店選びをできるだろうし、食べ物がなくても楽しい時間を過ごす工夫が沢山あるので、何の問題もないんですが、やはり日本社会は異質なるものを排除する傾向が強いような印象を未だに受けています。