お仕事は相変わらず始める勇気がなく、
それに加えて94歳の婆さんの胃腸風邪で
看病(後始末)や久しぶりのじっとり暑さに挫けて
なんのやる気もありません・・・これって被ばく症状?!
って思った方は木下黄太にメールを!!
そんな私も姉のお誘いで、保養キャンプのボランティアに参加してきました。
岐阜の山奥にある廃校がキャンプ場
どえりゃ~たのしい・・・ようですが、
山奥の廃校だったので、稲川淳二が好きそうなシチュエーション。
保養キャンプなので、震災後に避難してきた親子連れさんが参加者で、
私は学生ボランティアということで、
いろいろとサポートしなければいけないのですが、
久しぶりの再会だった姉ちゃんと姪っ子にべったりして、
あまりお役には立てませんでした。
学校行事の林間学校やキャンプは大嫌いな私、
大学でも、一人では行けない遺跡巡りに
泊りがけで行くような研修には不参加するくらいなんですが、
こんな苦手なお泊りボランティアに参加したのは、
保養に来る皆さんをおもてなしするためではなく、
将来、ノルウェーの神学校に通うことになったら
避けては通れない3週間の山奥精神鍛錬や
キリスト教青年会のキャンプに参加せざるを得ない状況になるので、
その予行練習に行ったようなものです。
キャンプのメインイベント、温泉保養
舐められている大人の私はクソガキの姪っ子を連れて風呂に入れました。
姪っ子ちゃんのお友達ママもお風呂に入れない状況だったので、
一緒にめんどう見ます。
皆さん、落ち着いて子供の面倒を見たりしてましたが
温泉が初めての私は、姪っ子と一緒に石畳の露天風呂を
素っ裸のままフラフラしたり、温泉水をここぞとばかりにがぶ飲みしたり、
お外と室内の湯船に何度も出ては入ってを繰り返したりと
周りから見たら、怪しいおばさんだったと思います。
その後、さすがに何かしないとヤバいと思ったので、
厨房に顔を出すと、台所を仕切っている、かっこいいおばちゃんが、
いきなり、トウモロコシを食べろと進めてくれました。
私の水分補給を心配してくれたり、
日本包丁を上手に使いこなせない私に
切り方指導をしてくれたりと、心強かったです。
嬉しかったのは、私がベジタリアンと知って、
食事の味見を強制しなかったこと!
多分、保養に来るご家族の方々の中には
食事に気を付けていて、菜食主義でなくても
食べたくない食品があるということをご存知なんだろうと思います。
そして、バーベキューの準備をしているお外の様子を見ていると、
こどもが手づかみで捕ったサワラを捌いてほしいと言われそうだったので、
体育館のスイカ割り大会に逃げ込むことにしました。
姪っ子ちゃんがベタベタな手をスイカを食べている間に
出来上がった夕食の一品、浪江焼きそば。
太麺のソース味で、姪っ子ちゃんも何度もお代わりしていました。
まあ、キャンプなんで、美味しくもない一生懸命考えて作ってくれた
“キャンプのカレー”や一人焼肉にしか見えない鉄板焼きもありました。
夕食後に子供を寝かしつける家族、宴会場に残っていると
酔っぱらって困った大人もいて・・・
これが普通なのでしょうが、私は酔っ払いが嫌いです。
今回のキャンプは強制されたことは、
宴会でのあいさつ程度で、兄弟もいとこもいない姪っ子ちゃんが
他の子供たちと楽しそうに遊んでいたのが嬉しかったです。
そして一番の思い出は、ギャル喋りママさんと
隠れてタバコを吸いに行ったことと、
怪しい参加者の女性が自己完結しゃべりで
付き合いきれないと思う一方で、姉ちゃんが妙に暖かく接していたことでした。
楽しそうだった川遊びや流しそうめんを
今まで見たことがないくらい真剣なまなざしで取り組む姪っ子ちゃん、
水木しげるの書いた妖怪サラリーマンといった感じのパパさんの写真を
アップしたかったけど、日本に帰ってきてから聞いた怖い子供の誘拐事件に
躊躇してしまいます。
日本の男は大人のイケイケ姉ちゃんじゃダメなの?
キャンプのあとで・・・
名古屋があまりにも暑くて、予定より早めに引きあげた
ヘタレ千葉県民の私は、最終日に一人カレーしてきました。
辛さは一番辛いレベルでお願いしたら、
いつも通り、店員さんから警告を受けます。
“辛いよ~、日本人は食べないよ。”
なんて脅されたけど、唐辛子を足すくらい辛くないカレーでした。
帰る直前に女子力が恐ろしく高いマスターの喫茶店で
フェアトレードのコーヒーを飲み、
ずっと欲しかった雑誌“最強未確認生物”を譲ってもらったので
父のお土産にしました。
砂糖の代わりに綿あめを出してくれます。
東京から横須賀線に乗って、千葉に戻るとき、
自分の陣地に戻ってきた感と、涼しい海風に
ホッとしました。
私は東電を許さない。