Razika
Om Igjen
一晩かけてベルゲンを歩き回った私たちは
ホステルの受付が始まる8時に解放されたドアを通って
チェックインを済ませたが
清掃のため、部屋に入れるのは14時になると言われ
荷物だけ預かってもらった後、再び街に放り出されてしまった。
朝のベルゲンはしっとりどんより曇り空だったが、
それでも、街灯が少なく暗かった夜を一晩外で過ごした後は
明るくて清々しい朝に感じた。
8時にもなればカフェは開いているので
ホステルの裏道を辿って着いたオーガニックカフェで一息つくことにした。
当時はまだヴィーガンでなかった私はブラウニーを注文した。
オスロよりずっと安いのに、量も多いし、生クリームのデコレーションが付き、
その上オーガニックとなるとテンションが上がらないわけがない。
このカフェは二人のお気に入りになり、
滞在中何度かコーヒーを飲みに行った。
その後、駅もホステルもベルゲンの中心街と海に出るまで
数分もかからない場所にあることがわかり、
コンパクトな街に便利さと街で見かける人たちに一種のローカル感を感じて
親近感がわいてきた。
土曜日のベルゲンは窓辺に優しい照明が灯り、
ゆっくり時間が進んでいる感覚と同時に
子供の頃から想像していた“本当の人生”を目の前に見せられているようだった。
それを表現するのは難しいけど、一種の現代画家が描く何気ない
木造住宅の街の風景に、いつも帰りたい気持ちで一杯になることがあった。
それが始まったのはまだ小学校にも入っていない頃で
自分の髪が黒いことや着物を着ること、神社・仏閣にお参りすることに
どうしても納得できない子供だった。
美輪明宏だったら、“それは本来あなたがいる場所だから”と言ったであろう。
イタリアに初めて降りたったときも、あんなに憧れていたのに
ちっとも気持ちが高揚しなかったし、
石造りの歴史的建造物に知識や経験なしに何の感動もなかった。
気持ちがこんなに揺さぶられているのに
ここからカミッラのカプチーノ欠乏症がひどくなり、
観光ではなくカフェ巡りが始まってしまった。
かわいいハートを描いたカプチーノ、イタリアでは見たことがない。
コーヒーを入れてくれたのはかわいい金髪の女性だったため、
“うれしくない”というカミッラ。
これ作るの、結構練習が必要なんだけどね。
私も結構疲れが出てきて、
14時にホステルの部屋に入るまで、
ずっとこんな感じでカミッラのカプチーノ巡礼に付き合っていた。
一晩眠れないことはよくあるけど、
一晩歩き回ることなんて初めてだった。
時間が来て、ホステルの二人部屋に入り
少し落ち着いたが、私は少し横になっただけで
眠れそうもなかった。
夕食を食べて出かけようという。
辛いもの好きな私に辛ラーメンを、
ノルウェーの意識高い系の自分にはライスヌードルを用意してきたらしい。
ライスヌードルとは、小麦でなく米で作られた麺なので
低カロリーでコレステロールフリーな上、
アジア系食材は当時のノルウェーではオシャレ系が食べる
トレンディ―な食べ物だったらしいが、
蓋を開けて、中身が少ない自分の麺と
出来上がった後に漂う韓国ラーメンの香りとビジュアルに
同じものを買っておくべきだったと後悔していた。
18時をまわる頃には日も暮れてくる。
ホステルの部屋から見る日の入り後の青い夜は、昨晩とは違って安心感を覚えた。
そのあと、例のアフリカの呪いカフェ“Macumba”で
当時、教室に通っていたカミッラは着替えをして
私はボロボロのズボンと毛糸の上着を着て出かけていった。
狭い店内に10人強のヒールを履いた女性と正装している男性が
激しく踊り、かわるがわるパートナーを変えて練習している中へ
カミッラも加わっていった。
お酒を飲まない私は注文するものがないので
テーブル席に座ってその様子を見ていたが、
隣の席にも友達の付き合いで来た風の若い女子がいて、
目が合うと話しかけられた。
多分、“激しいね、付いていけないよ~”って言ったと思う。
ノルウェー語だったので、相槌程度ににっこりするしかできなかった。
その頃、カミッラはステキな南米系のサルサ・マスターに
個人レッスンをしてもらって嬉しそうだった。
ダンスの時間が終わると、酒を注文していたが、
二杯目は断られていた。
私たちがノルウェーであり得ないくらいハイだったらしく、
カウンターのバーテンダーに撤収するようにと
ノルウェー語と英語で注意されてしまい、店を後にした。
また追い出されたけど、楽しい時間を過ごしたことに変わりはない。
まだ深夜というには早いくらいの時間だったので、
入場無料の大学生協のディスコに行くと
中が明るくて人もスタッフとその友達らしき人がいるだけ、
イタリアでは夜はこれからなのに、
ノルウェーの大学生はいつ羽目を外すのだろうと
笑いをこらえながら、コンビニでホットドッグをつまんで
ホステルに帰ることにした。
この日、私はベルゲンで一生を過ごしたいと強く思った。
ベルゲン特急4へつづく・・・