ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

西洋キリスト教の歴史 アリウスとアタナシウス

中世のキリスト教を語る上で忘れてはいけない存在である
2人の宗教家、アリウス(Arius)とアタナシウス(Atanasius)。
古代末期にはこの2人の教義が対立し、現在のカトリックにおける基盤が築かれたのだが、
その経緯について話しておく必要がある。
 
アリウス(250-330A.D.)
アレクサンドリアの司祭であったアリウスは唯一神をモットーに現在のキリスト教で説かれている
三位一体を否定した人物だ。
 
三位一体とは神、キリスト、聖なる魂の3つの要素が同じ物質によって出来ているとする考え方である。
この教義は現在のカトリック、オーソドックスそして、福音ルーテル派などによるプロテスタントにて、
核となる崇拝の対象である。
 
アリウスは唯一神である神がキリストととして地上に降り立ったという考えを完全否定し、人間的要素で作られた人物であると説いた、よってキリストの神聖も無視されている。
 
この教えは東方、特に当時その地域に居座っていたゲルマン民族の間で広まっていった、
徐々に西側へ侵入していったゲルマン民族はある時期に至るまで、この教義の元キリストを信仰し続けた。
 
325年のニケア会議に続き、会議の議題に上がったこの教義および、アリウスは第一回コスタンティノーポリ会議(381)にて正式に破門を言い渡される(Credo Niceo costantinopoliano)。
この教義はアリウスにおける独自の思想を元に展開され、東側に鎮座するゲルマン民族にとって有利だったため、当時の権力者により忌み嫌われたことも念頭に入れておく必要がある。
 
 
 
 
アタナシウス(298-373)
こちらもアレクサンドリアの司祭でエジプトの隠遁修道士である聖アントニウスの伝記の著者。
現在の主なキリスト教で説かれている三位一体(トリニティ)を教義とし広めていった人物であり、現在も聖人として祀られている。
父と子と精霊の三つのエレメントがひとつであるとする考えであり、これによってキリストと父なる神は同じ存在という教えを説いた。
この教えはいつ、境界線を突破して来るかわからないゲルマン民族の脅威から防護するため、対抗するために西方で人気を集めた教義である。
ゲルマン民族は土地柄、アリウス派の教えがいち早く広まり、彼らのアイデンティティの一つでもあったため、
アタナシウス派の教えを採用したカトリックに改教するまで少々の時間がかかるのである。
 
古代末期、兵役に行きたがらないローマ人たちの穴を埋めていたのは"外国人"であったゲルマン民族である。
ロンゴバルド族やゴート族は彼らのもと傭兵となり、ドナウ・ライン川により区切られていた不可侵境界線を越えていった、簡潔に話すとローマ人の怠慢がこの境界線を崩し、自らの土地とそこの設けられたルールを崩すきっかけとなったのである。
また、西側はこの軍隊の維持や迫り来る他民族に対抗するだけの財力もなく、
崩れ去るのも時間の問題であった。
 
 
次回は中世初期、フランク族の洗礼と当時の信仰について。
続く