ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

異端裁判と清貧思想

清貧思想はクリュニー修道院及び、オットー1世の時代に聖職者の特権を利用して私腹を満たしていった教会関係者に対し、キリスト及び12使徒たちの貧しい生活を手本にした聖職者の生活見直しにより広まった。
 
それまでの経緯
 
ザクセン王でローマ皇帝であったオットー一世はカール大帝の意思を継ぐものとしての使命感や
当時勢力の強かったクリュニー修道会を味方につけるべく、
"リベルタス・ローマ"教会内の不可侵入権や領地内に関税、通行税を設けることを承諾した。
別の資料では親族に対する不信感から頼りになるのは精神世界を司るもの、つまり教会に信頼を置くためだったとも言われている。
 
その後、その意見に反対するローマ皇帝ハインリッヒ4世は教皇及び教会に悪態をつき(叙任権問題)、
破門を言い渡されるが最終的には和解にもっていく(カノッサの屈辱)、
後任のハインリッヒ5世はワース条約でこの争いに決着をつけた。
"教会内の組織は教会内で決め、世俗の権力者の立ち入りは禁止する、
しかし、土地や財産は権力者が有する"
というものであった。
 
時代は十字軍遠征(X-XIII世紀)
イスラム、聖地奪回という宗教的な意味合いの強かった大規模な遠征にもかかわらず、
強奪目的の者や資金稼ぎにカトリックの都市を襲撃するなど、
キリスト教徒である見方に対して見識が見直された。
この遠征から戻ってきたものやそれ以外の世俗の人々まで、聖書の意味を理解しようという動きが起こり、
そこに出てくる12使徒やキリストの慎ましい生活に感銘を受け、その原点に戻ろうというものが多く現れた。
 
 
こういった状況から、いくつかの新しい修道会が生まれる一方、それに対して異端とみなし、
迫害に持っていく動きも見られた。
 
異端とされたいくつかの例を挙げてみよう。
 
1115年、オランダのタンケルモは所有の放棄をモットーとし、それは世俗のもの(金品など)だけでなく、
教会内の階級制度や教会という建物、そして聖餐すら拒否するというものであった。
1124年、ノルベルトはアントワープを中心に殺害されたタンケルモの遺志を継ぎ、
この思想を説き続けた。一方ブレーシャのアルノルドも同様、教会の世俗的な遺産の放棄を歌い、彼の教えについて行くものはアルナルディスティと呼ばれ、この民衆の中には後に頭角を現すヴァルデーゼ派やカタリ派も着いていった。
 
Valdesi:
リヨンの商人であったピエトロ・ヴァルデスが創始者とされる、新約聖書のマタイ伝の記述の従い清貧であることを良しとし財産を捨てて教えを説くことを美徳とした。
彼の教義には教会を弾圧するようなところはなかったとはいえ、
この教えに対し、共感する者のほとんどが教会関係者ではなく、普通の民衆であったということで、
司教たちはこの教えを禁止した。
彼らは純真な気持ちでこの教えを信じたことは事実であるが、
教会関係者には地位を脅かす面倒な存在であった。
1179年の第三ラテラン教会会議で教皇からこの存在を認められたものの、
司教に反感を買い、その後着任した教皇により破門された上に迫害まで受けた。
ヴァルデスの教えはプロテスタントの一派としてイタリアに未だに残っている。
 
このあたりは聖書の教えに忠実に従った者たちで、教会の邪魔になるという理由から
迫害を受けることとなったのた。
 
トゥールーズなどプロヴァンス地方を中心に広がった一団で、
その名もギリシャ語で純粋を意味するKataroiからきている。
彼らの教義は上記のものと違って聖書の解釈にグノーシス主義が見られる。
物事の二元性をとくこの解釈では、少々古代哲学が混じって説明が難しいのだが、
簡略して書き出すことにする。
 
二元性とは世界が2つのことから成り立っているとする考え方である。
グノーシス主義とは物質と霊の二つの存在を説くしそうである。
 
カタリ派ではこの世はは悪で出来ていると考えた。
 
このグループに見られる顕著な教えを挙げてみよう。
 
 
子孫を残すための性行為の禁止:
人間は悪で出来ているため、消失すべきだという考えから
 
菜食主義:
生殖活動によって生まれた肉を食すことは罪であるが、魚はそこに入らない。
この時代、海の生き物はの生態学は発達していなかったため、魚は海からわいてくるものと考えられていた
 
キリストは存在しなかった:
キリストが穢れているからだの人間に生まれてくるわけもなく、彼らの教えの中では霊的な存在となっている。
 
禁欲主義は彼らを物質的存在から断ち切り、霊的存在になることで天国の門が開かれると考えられた。
 
少々極端な思想にバチカンが黙っているわけもなく、大規模な迫害により滅ばされてしまった。
 
 
 
こうした聖書を読み、その内容をよく理解したものたちによる
教会改革は既に出来上がっていたカトリックにはあまりよい存在ではない。
共存するにはいくつかの方法があったのだ、それは今日に至るフランチェスコ修道会や
ドメニコ修道会に見られるものである。
次回は托鉢修道会について。