ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

内緒のエトルリア人

最近ふざけすぎた記事が多いので、真面目な話しを・・・。
南イタリアのカンパーニア州、ナポリより数十キロにある
エトルリア人の遺跡は私の大学の練習用遺跡である。
 
とっても素敵な発掘学の教授と数週間の遺跡実習が義務付けられている。
 
エトルリア人とは未だにルーツが、不明確な人種である。
トルコから流れてきた説やイタリア原住民説など
いくつかの仮説が存在するのだが、
 
専門家のチェルキアイ教授はイタリア原住民説を唱えている一人である。
 
彼らのアイデンティティが見られるのは大体、紀元前10世紀ごろと推定される。
8世紀ごろには海を渡って上陸した古代ギリシャ人との接触もあり、
貿易を通して少しずつ、彼らの文化にギリシャの要素が盛りこまれていく。
 
この民族の特徴を言えば、死後の世界に生きる民である。
彼らのお墓は地形を利用して、洞穴状で規模のおおきなものである、
それは彼らにとって死後の世界は肉体を抜け出して生き続けるという
思想があったため、お墓には豪華な副葬品やその作り自体が家のようになっている。
 
天井にはまるで家の梁のような模様まで描かれている。
 
彼らの文化がギリシャ化されるにつれ、少しずつ、その特徴が薄れていき、
最終的にはラテン民族の古代ローマ勢力に飲み込まれ、途絶えてしまった。
 
私が実習で行った遺跡はエトルリア人とオスク・サンニート人によって
生活が営まれていたもので、お墓は上記のような大きなものでなく、
棺おけが直接埋められているようなものであった。
 
ここからは少し秘密の話しである。
この遺跡はイタリアの専門家達には知られているものの、
研究論文の発表は未だにされていないので、
うちの大学内だけでしか出回っていない情報なのである。
 
あまり広くない面積にいくつかのポイントがあり、
私のグループは台所と見られる部屋の隣の2平方メートル程の
小さな部屋である。
 
ここでは本当にいろいろなものが出てきた。
 
食べ物の保存や料理、食器として使われていたであろうテラコッタの欠片、
食卓に上がったであろう動物の骨、家具の装飾品と思われる金属片、
また、屋根瓦など、捨てるほど出て来るのである。
 
イメージ 1
 
黒塗りギリシャ壷の足の部分、これだけきれいに出てくるのは珍しい。
 
 
イメージ 2
 
台所と分かるのは煙突とかまど跡があるため。
この部分はすでに数年前のグループが掘ってしまった跡なので
特に目立った煤や炭の跡などは見当たらず、ただ形だけが残っている。
 
イメージ 3
左側にある小部屋が私の掘ったところ、
右側にあるのが上の写真の台所。
 
土台は2千年以上踏みつけられてきているので
ピッケルで砕きながら掘っていく。
何が出てこようと、正体がつかめるまでは
壊してでも掘り進めるのがこの遺跡の発掘スタイルだ。怖い話しを言えば、現場の指導してたのが、発掘暦2週間の同級生だったことだ。
彼女、本当に良くお勉強ができる子だけど、
この遺跡、ちょっとカジュアルすぎないか?
というのが本音だ。
 
雨が4ヶ月も降っていないため、土煙で埃っぽいが、
湿気の多い夏にあたるとすぐ横にある川から蚊が湧いてくるらしい。
初発掘した良い思いでの遺跡だが、あの暑さと
どうでもいい古代の遺跡発掘労働力となるのはごめんだな。
 
とにかく秘密の話しなので、この辺りで筆を置こうと思う。
質問があったら内緒のコメントを頂きたい、いくらか情報を提供できるであろう。
 
 
スウェーデンのビルカには有名なバイキング時代の住居跡がある。
この遺跡を掘った日本人バイキング考古学者は、著書にこう記してある。
 
"どんなに掘っても何もでてこないのが、普通である。"
 
(ヒースマン姿子著   バイキングの考古学より)
 
それに比べたら、発掘品の整理で忙しいこの遺跡は幸運かな?
冬は発掘作業をしないので、研究室で陶器の破片を集めて
ジグソーパズルのようにつなぎ合わせる仕事が待っている。
私は行かないけど・・・。