ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

西洋美術史はリバイバルの歴史(1)?

"ローマ絵画史と考古学"という恐ろしい科目に手をつけると
西洋美術史ギリシャ美術を起源にした使い回しの美術史のような印象を受ける。
 
元ネタ発見的な面白さと人々が美術に求める価値、
そして美意識の歴史が見えてくる。
 
最初に簡単に説明しておくと・・・
 
このお話はヘレニズム期(紀元前4世紀の終わりから紀元前1世紀頃まで)
からキリスト教美術が始まる2世紀までが範囲。
 
古代ローマは丁度、地中海全域を支配し始める。
 
 
まずはポンペイの説明とその絵画様式について。
 
ポンペイ(Pompei):南イタリアナポリ近郊の街で西暦79年、火山灰の下に埋ってしまった街、
考古学的に高い評価を得ている良い保存状態の街だが、
絵画作品も例外でなく、こちらの作品を基にスタイルを4つに振り分ける。
 
第一様式 (紀元前3~2世紀頃)
イメージ 1
ニセ素材画術・・・なんて書いたら古代ファンに怒られそう。
 
"大理石で家の壁を飾りたいけど、予算が・・・"
 
という方のために思いついた装飾術かどうかは
当時の歴史学者プリニオも書き残していないが、
漆喰をブロック型に模って立体化し、そこの大理石に似せた色を塗って作り上げる。
 
装飾柱やその柱の上に儲けられるアーキトレーブの出っ張りなども漆喰のマジックで盛り上げ、熟練した職人さんは
優れた観察眼により、オニキス柄の大理石を模倣することもできたそうだ。
 
 
第二様式 (紀元前2~1世紀頃)
イメージ 2
だまし絵絵画術
 
部屋の中にいきなり現れる街や長閑な田園風景を
立体的に描いてお客さんを驚かせるのが
ポンペイの人のホスピタリティー・・・だったようだ。
 
"お部屋に入ったのに外に出ちゃった!"なんて驚いていたらしい。
 
立体的に見せる要素として、明暗と光の方向を意識する以外に
対照法を用いて、鏡写しになったような4方の壁を作るなどの工夫も
なされている。
 
視覚の錯覚を利用した絵画術はルネサンス以降のイタリアでも
貴族の遊びとして用いられていた。
血税でこんなことして・・・。
 
 
 
 
第三様式 (紀元前1世紀後半~西暦1世紀)
イメージ 3イメージ 4
立体感も漆喰で作った半立体もなくなり、平面画法が採用される。
これは技術の劣化ではなく、第二様式の仰々しさを抑え、
エレガントさを出すために編み出されたデザイン。
テーマも庭や森など、自然を意識したものが多くなり、
果物や鳥、ガラス容器などの小物使いを演出するため、色彩も鮮やかになる。
右の薄気味悪い壁画は生首でなくて演劇で使われる仮面。
 
この時代はカエサルにより実質的にエジプト(当時はマケドニア貴族による政権)が
ローマの支配下に入った時期であったため、エジプト伝いにギリシャ文化を取り入れていった。
色彩の鮮やかさはこの東方文化の影響といわれている。
 
 
第四様式 (西暦1~2世紀)
イメージ 5エレガンスさの追求により、
細くて細かい装飾を施した蝋燭立てを
仕切り代わりにして展開する絵画術。
 
一つの壁を蝋燭立てにより区切り、
その中央部に神話の一部を描くのが流行であった。
テーマとしてはアポロンディオニソス、ヴィーナス、マルス
それからアモルなどが多い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・この時代以降、
 
ここで使われたデザインや構図を
使いまわしする傾向にある、2世紀以降のローマ美術は
作品のテーマ性が統一されることなく、
美術史学者が一見して"ナンじゃこりゃ?"の断片かき集め絵画が多く登場する。
 
そんな後世にも真似させるほど素晴らしい表現力のポンペイ絵画だが、
デジャヴーを覚えるのはなぜだろう?
 
それもそのはず、古代ギリシャ美術のパクリだからだ。
 
古代ギリシャでは美術は公共施設、及び貴族の墓を装飾するものであったが、
こういった文化は南イタリアギリシャ植民地時代を通して
輸入されており、かなりの割合でローマ美術に見ることができる。
逆に言ってしまえば、ローマ美術を通して古代ギリシャの美術史を
追うことができるというわけだ(ちょっと言いすぎだけど)。
 
ローマの皇帝及び、貴族たちがギリシャ彫刻の複製を作らせていたことは
割と知られている上、このコピー作品のおかげで本物の姿を知ることができる。
 
 
話がかなりややこしいので
古代ギリシャとイタリアの関係を少々。
 
古代ギリシャは紀元前8世紀半ごろから
イタリアのナポリを通して貿易といいながら徐々に
自分の土地にしていく、(現在ナポリの中国人がしているようなことです)
これがマグナ・グレキアと呼ばれる南イタリアギリシャ植民地だ。
 
南イタリア原住民もギリシャ植民地となったナポリターラントを通して
文化を融合させていく。
実際、葬儀絵画や建築法もギリシャ文化の影響を受けている。
原住民たちにとって、ギリシャは洗練された先進国であり、
彼らの持つ文化を受け入れることは一種のステータスであったのだ。
 
お墓や神殿に残された芸術品からは
原住民の持っていた文化の一部とギリシャ的な主題(神話や歴史的エピソード)を
合わせたアイコンが数多く見られる。
 
古代ギリシャからローマへ移行する際、
劇的に変わったことといえば
貴族の懐が狭くなったことと死に対する畏れが減ったことではないだろうか?
 
つまり、公共施設やお墓を飾ることよりも
現在住んでいる住宅を華やかにすることが
ローマ貴族にとっては重要であったといえよう。
 
現世を贅沢に生きた彼ららしい選択である。
 
そして、このローマ美術は
 
中世にはロマネスク様式のカテドラルで
 
ルネサンスには有名画家によりグロテスク様式の再採用、
 
近代バロックには視覚的立体遊びの彫刻、建築物へと
 
何度もリバイバルしている。
 
続く・・・
 
読んでくれた方有難う。