ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

ツルッとノルウェー子守唄

つい最近まで寒波の影響で-25℃だったオスロ

 

積もった雪の上を歩く人のおかけで、
歩道の雪は押し固められ、氷となり、日陰や夕刻時に完全に凍結して
つるつるになっていた。

 

気をつけていたのに滑って転んで腰を打った。

 

久しぶりにこけたので笑ってしまった。

 

こんな感じで滞在中に何度もこけて腰とひざにあざを作ってしまった。


暗くなったオスロの坂道でこけたとき、
近くを歩いていたおっさんが急に走って逃げていった。
どうやら強盗と勘違いしたらしい。

 

みんな滑りなれしてるのか、足早に氷の上を歩いていく、
滑ったりするのに転んで尻もちついてる人は見かけなかった。
ゆっくり気をつけていれば危なくは無い、
滑り止めの靴を履いていればかなりの割合で危険を回避することができる。

 

イメージ 1

 

"ナポリにいたらスリとか強盗とか詐欺とかに注意して歩かないといけない。
オスロはすべることに気をつけるのだから、どこにいても危険と隣り合わせ。"
というカミッラ。

 

犯罪の話をしたら私には日本が一番怖いかな?
無差別殺人は交通事故より回避しにくい。
ナポリは危険な街で悪名高いが、命までは奪わない。



さて、ツルッとバスト・イントゥ・ヘヴェン、
滑ったら天国まっしぐらな展望台は北西部の街、
オールセン(Ålesund)にある。

 

あまりにも突き立った岩に作られた歩道は途中まで手すりが無く、
上へと上り詰めるにつけ、美しい景色と恐怖に
涙を拭きながら登る地獄の天国まっしぐら展望台であった。

 

途中で登るのをやめる英語圏の観光客を尻目に
登り続けるが、雪が凍って丁度オスロの危ない歩道みたいになっている部分が
あるではないか!
後ろからきた60才は過ぎているであろうおじいさんは
軽々と早足で過ぎ去っていく。
ノルウェー人は基本的にスポーティなのね。

 

イメージ 2

 

この写真を撮るのにどれだけ冷たい涙と鼻水をたらしたことだろうか・・・。

 

ノルウェーの道を歩いていて、ごみの少ないことに感動しつつも
目立った落し物がある。

 

襟巻き、手袋、スヌース、ゴム製品。

 

襟巻きや手袋は途中で脱いで落としてしまうのであろう、
あるところにはセットで忘れていった形跡があった。
そこにはビールグラスもあったので、酔っ払って脱いで忘れていったのだろう。

 

スヌースとは歯茎にのせて楽しむスカンジナビアのタバコである。
小さなパックに蒸したタバコの葉が入っており、
自称ヘビースモーカーの私にもかなり強い、
歯茎に乗せて数秒後には心臓がいき酔いよく動き出し、頭がぐらぐらしてきた。
香りは犬を洗濯したような水に漬けた雑巾。

 

そして髪の毛を束ねるためのゴムが良く落っこちていた、
拾って洗って使う私。
落ちているゴムの色は茶色が多く、たまにオレンジやピンク。
イタリアではヘアゴムの文化が無い。
紙を束ねるのはヘアクリップが主流である、理由は髪に絡まるから。

 

イタリアに戻るまで10本近いヘアゴムと手袋、マフラーを拾った、
カミッラには更にケチのレッテルを貼られたが、分け前を与えたら喜んでいた。

 

目立ったごみの無い中心街、
ある日の午後、目の前で信号待ちをしていた男が紙ぐずを手から放った。
イタリア人が良くやる何気ない仕草の一つと全く同じ動作であった。
目線を上げると肌の色の濃い中近東系のお兄ちゃんではないですか、
きっと移民組の一人だろう。
スカンジナビアの国同様、ノルウェーは移民の受け入れをやってきた。
移民してきた外国人たちは自分達の生活向上と保護を国に訴え続けている。
オスロにはモスクもあり、国からはかなり手厚い保護を受けているはずなのだが、
それでも物足りないようだ、同化する前に土足で受け入れ側の土地を踏みにじる。
そんな風に見えてしまった。
 
オスロの犯罪も外国人によるものが多いと聞いた。
他人の土地に、他人の親切でお邪魔してるのに迷惑かけてはいけないよな。
 
※2010年当時に書いた記事のため、かなりの偏見が混じっております。
実際に街の景観を傷つける行為は移民だけでなく、元からいる民族も行っていることだと思います。
ただ、自分がイタリアにいるときは見た目で目立ってしまうので、少しでも社会に反すること、例えばゴミ出しのルールを守らない人が同じアパートに住んでいると犯人として私が最初に疑われたり、がら空きのバスの中でジプシーが隣に座りたいと主張してきた際に別の席を勧めるとそれだけで人種差別と言われてブーイングを受けたりと、地元の人が普通にやっているようなことがまるで犯罪者扱いとなるので、国から経済的に援助を受けている移民に対して、せめて良い市民の見本になるよう求めていたことが一つあります。
イタリアで多かった中国人がイタリア社会の中に溶け込み、周りから尊敬されるような人ばかりだったら、同じ東洋人の私ももっと違う目で見られたと感じていました。
しかし、そういう人種として括って見ていた方に問題があるのであって、私はそんな偏見をイタリア人になったつもりで受けいれていましたが、そうするべきではなかったと後悔しています。
今となっては、個人が一人の人間として国籍、身分、年齢、民族に関わらず自由に生きることが大切だと思います。

 

 

 

カミッラとはイタリア語で話すのだが、
私の見た目が東洋人でカミッラが日本語学科卒なため、
彼女の知り合いが私達の会話を聞くと、日本語で話していると思うらしい。
イタリア語の知識があっても、私らかなり南部なまりがあるから、
違う言語で話してると思うかもね。
オスロでは南に対する偏見を少しだけ感じた。
そりゃあ南から北上してくる人たちがこんな態度じゃあ仕方ないよな。