ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

A me mi piace o' indie nordico, ma tu?

Bambina
Pino Daniele

ピーノ・ダニエレはナポリが誇る最高にクールなアーティストです!
ビデオの写真がハバナのオジサンにみえますが、
経済的に厳しかった子供時代を乗り越えて、
イタリアの音楽界に新たな音楽をもたらした
イタリアのストーン・ローゼスです!
と、言っても、音楽性は違うけど。

私がナポリに住み始めた時期にはアーティストとしての黄金期をすでに終えて
隠居生活に近いゆっくりペースでアルバムを発表したり
(とはいえ、北欧の音楽家たちよりずっと高い生産性を保ってましたが・・・)
コンサートもナポリで数回あったくらい。
テレビの露出はほとんどなく、前回の記事で描いたジジ・ダレッシオばかり
バカなトーク番組やゴールデンタイムに出てきて
おとなしく歌う順番を待っていた印象が強い。
ジジ・ダレッシオは音楽学院にも通っていたくらいの
ナポリでは珍しい音楽エリートで、売り上げ重視の業界でも
"売れる歌を書け!"と言われたら、その通り書いていると思われるけど、
ピーノ・ダニエレは内なる音楽魂に人生をかけた
本当の意味での音楽家だと思う。
 
ラジオでピーノ・ダニエレがかかると嬉しかったけど、
ほとんどは当時の新曲ばかりで、ファンからアドバイスを受けていた
昔の曲、ナポリ語で歌っている曲を聴けという言葉を
思い出して探すと、信じられないくらい名曲がゾロリと出てきて
選曲に苦労しました。

Viento ’e Terra
Pino Daniele

上の曲はナポリ語混じりのイタリア語ですが、
英語が混じっている曲も多数。
イタリア人の英語は一番我慢がならない癖のある発音なんだけど、
この人の英語は全然気にならない。
それは発音が良いとかではなく、
ナポリ語とのコラボレーションに成功しているというのか、
ピーノ魂が生きているから?

ピーノが英語を使うのは、ブルースに対する憧れがあるからだと思います。
インタビューでも、黒人音楽が好きだったと発言しているし、
最初に張り付けた曲も
"黒人の声が欲しい、その声でテレビのゴールデンタイムに歌いたい"なんて
歌っています。
黒人の声とは違うけど、ピーノの声は独特で私は好きです。
 
ファンもナポリB層と80年代に学生をやっていたと思われる
左翼思想のインテリ層にまで広がっています。
ナポリB層といえば、アメリカ万歳ですが、そんな人たちと
左翼思想のインテリまで一緒に聞ける平和の音楽がここにある!

レナート・ゼロ、ジジ・ダレッシオに続いて面白いことを書きたかったのに
ネタがありません。
なので、アート方向から探りを入れてみました。
ビデオを見た人にはお分かりの通り、あまり美しい見た目ではない上、
レナート・ゼロほどナルチストでもなさそうなので、
CDのジャケットセンスも面白いものはほとんど見つかりませんでした。




強いていうなら、これくらい。
イメージ 2
北欧チックな毛糸帽子にサングラスのもっさりおっさん。
アルバムのタイトルも皮肉たっぷりに"赤道直下のアイスクリームのように"


 
イメージ 3
ボヘミアンな感じのピーノ、
地中海の北アフリカをイメージした色彩
"ラテンの悪ガキ"か?
Mascalzoneはナポリでよく使う言葉だけど、
かなり強い意味を持った不良に対して使う。


イメージ 4
こっちはスウェーデンのインディー系バンドのジャケットっぽい。
"いかれてる"ナポリ語のタイトルが潔い。
モノクロ写真と少しのカラーで、結構良いセンス。
前回のジジ様のジャケットと同じモノクロ使いのジャケットとは思えない。

私がピーノのことを悪く書けないのは、
去年、心臓発作で亡くなっているからです。
もちろん、面白おかしいアーティストでもなく、
だただた、もっさりおじさんが最高にクールな演奏をするという
イメージしか湧いてこない。

そんなピーノを忍んで、ナポリでは去年、
ピーノの捧げた数々のトリビュートを少し紹介します。

イメージ 5
クリスマスの箱庭"ピレゼーピオ"職人によるピーノ・ダニエレ人形
"またね、少年よ"と書かれたメッセージ付き。

ピレゼーピオは毎年、有名人の人形を作るので
その中にはマラドーナマイケル・ジャクソンもあるほどなんですが、
ビジュアル的に美しくないピーノ人形を作るなんて、なんというパッションでしょう!
血色のよいギターを持ったおじさん人形、ピーノを知らなければ、
"なんでこれ?"だと思います。
右後方に教皇フラスチェスコが見えます。
私はこっちの方がほしい。
インテリアコーディネーターになったら、
教皇の人形は居間にマストな置物になるだろうな。
 
 
 
 
イメージ 1

こちらはもう少し大掛かり。

ピーノが子供時代を過ごした地域の道に名前まで付けてしまいました。
冗談でも、ドッキリでもなく、本当です!
ナポリ市の職員もピーノファンだったのでしょう!

何度もコンサートに行く機会があったのに、
いつでもCDを買いに行ける状況だったのに、
当時の私は家で北欧インディー系か電子音楽を聴く
とんがった学生だったので、ナポリに染まりたくないという
かっこ悪い理由でピーノ・ダニエレを聴くききたくなかった。
今思うと、もったいなくてたまりません。

Ciao PINO!
Quanno Chiove
Pino Daniele