ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

復活の就活 再就職先は自分

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3,4人の数少ない隠れmonkちゃんファンの皆さま、お久しぶりです。
喪中なので、あけましておめでとうと始められません、
昨年の夏ごろ私は死にました。
そして、復活する機会を求めて、休職や転職をし、
今も尚、重たい気分が取り去れない状態です。

今更ですが、私が日本を脱出したかった一番の理由を思い出しました。

日本には労働者の権利がない!

高校生の頃、経済的な自由が欲しかったので
入学式の翌日から郵便局でバイトを始め、当時はまだ郵政省の管轄だったので
時給こそ最低賃金程度でしたが、午後5時以降と休日は手当があり、
バイトであっても年に10日の有給休暇や二回の賞与が与えられ
業務内容も簡単で、トイレにも行き放題の職場だった記憶があります。

私にとっての労働者の権利とは、このときの職場環境に似たモノであり、
それすら、北欧の労働環境から見たら、厳しい条件だと思います。

郵便局が法改正でアルバイトの労働時間が変わり、
高校生の私が続けられない規定ができてしまったので、
仕方なく、民間企業でバイトを始めたのですが・・・
“私は奴隷だったのか?!”
と、思わせられるくらいの仕事をさせられました。

当時の私は洋楽が好きだったので、
ヨーロッパに関するドキュメンタリー番組を見たり、
福祉を勉強する姉の借りてくる本を読んだりしては
日本の労働環境から脱出するために海外に行く準備を始めていました。

そんなわけで、大不況中のイタリアに行ったのはちょっと失敗だったのですが、
“少しでも持つ者が持たない者に対して与える”というキリスト教的精神は
少なくとも学べたのではないかと思います。

さて、私は職業訓練を終えてから、希望を持って職探しをし、
割とすぐに派遣での就職先が見つかり、働き始めることが出来ました。

ですが、働き始めてすぐに“明日会社に行くのが嫌”になりました。
朝礼があり、誰もやらないラジオ体操があり、
売り上げの話が中心のミーティングがあり、
仕事を教えてくれず、
無駄な時間を過ごしている感じでした。

いるだけでお金になるならと、出来る仕事だけこなして一週間くらい経った頃、
直属の上司がパワハラでいつも誰かを怒鳴り散らしていることや
仕事は教えてくれない癖に
文句ばかりを言う先輩たちに耐え切れず、トイレへ泣きに行くことが日常化し、
食欲がなくなりました。
気が付けば、味覚が無くなって、食事自体を拒否することが多くなりましたが、
仕事が見つかったと喜んでいる母の前で落ち込むわけにも行かず、
私は無理してごはんを口に詰め込んでいたのでした。
それもできなくなり、時間があればネットで自殺に見えない死に方を探していました。

転職すればいいんですよ!

でも、そんな選択肢すら見えなくなります。

“仕事より、命の方が大切です。”

ネットで自殺方法を検索中に見つけたこの見出しで心療内科に行くことにしました。

まあ、拝金主義の医者でしたが、仕事を休んでいいという御墨付はもらえたので、
休職して、そのまま辞めました。

今は別の会社で働いています、やりがいのない事務です。
長く働いているか、生きている性別男と言うだけで、
ジジイどもが威張っている会社ですが、一緒に働いている人は
仕事に関する会話はしてくれます。
最近はオフィス内の人間関係に問題があることを指摘する話まで
してくれる人もいて、仕事は嫌いだけど、とりあえず出来るところまでは続けます。

ただ、夏から続くうつ症状か、今の仕事内容や労働条件からくる不満からか、
私は休みの日は外出をせず、家で一日中寝ています。
誰にも会いたくないので、お友だちの誘いは断っています。
メールもやっと返事を書けるようにはなったけど、
未だにストレス性のめまいや偏頭痛、下痢、不眠、過食に悩まされ、
こうやって、人生を終えていくのかと思うと悲しすぎるのです。

だから、北欧並の労働環境を実現できるような仕事を
自分で作ろうと決めました。
つまり、起業するということです。

ナポリで経験したホステルの仕事が面白かったので
ホステル経営あたりを考えています。
今までに得た知識や経験も、この仕事なら十分役に立ちます。
足りないのは、法律や条例に関する知識と資金くらいでしょうか?

経営に関することも知らないことばかりなので、
起業した人、アドバイスください!
それとも、私とコラボする?

余談ですが、写真のボトルに入っているのはチアシードです。
これ、半年続けて、長年悩まされ続けた貧血が改善しました。
職業訓練の授業が無理のない日程だったこともありますが、
血液検査で数値が11になったを見たときは驚きでしたよ!