ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

古代ローマ文学と同人作家1

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Asterix et Obelix(アステリクスとオベリクス)
 
フランス産のマッチョな漫画。
侵略を繰り返した古代ローマ人によるヨーロッパ支配に
唯一屈しなかった民族のパロディ漫画。
 
古代ローマ時代に苦しめられている私のストレス発散に
随分役に立ってくれています。
 
 
 
古代ローマというと、自宅に騙し絵描いたり、尊い農作業を奴隷にさせたり、
御柱祭りと似たような危険なお祭りをしてみたりと
私には理解不能な生活を送っていた人たち。
 
そんな人たちの文学史
もう半年以上もかけて本を読んでもイメージが全く湧かず、
脳細胞が死に掛けている夏に、更なる猛勉強をしているわけです。
 
彼らの作品解説を読んでいくと、美術史に見られるような
ギリシャ文化のリサイクルが見られる。
 
ローマ時代は長いので、いくつかに区切る必要があるが、
その括りまで、論議がかもし出されている。
 
スタンダードなものはこちら↓
 
①ラテン文学の起源(紀元前8世紀ごろ)
②アルカイック期(紀元前241-78)
③クラシック期(紀元前78-後78)
④インペリアル期(14-550)
 
 
①ラテン文学の起源
ローマに民族が住み、文明の発達したギリシャエトルリアと関わり、
文化を吸収しながら軍事力をつけた時代。
民族のコミュニティーが大きくなると、記録をつけるために
文字を書くという行為が必要になってくる。
 
当時はギリシャ文字エトルリア文字をミックスしたものを使っていたが、
利便性からアルファベートを開発、時間を経て現在使っている26文字が出来上がった。
 
②アルカイック期
エリートはギリシャ語を読み、貴族は自分の家系を記録するのが習慣であり、
文字を使うことはローマ人にとってステータス、
イタリアの原住民をローマの傘下にしていく中、
ローマ人の市民権を得ている上流階級から
"ローマ的"なものを求める傾向が強まっていく。
 
 
劇作家&翻訳者リヴィオ・アンドロニコ
 
ローマではギリシャ文化の恩恵に伴い、演劇も好まれていた。
古代ギリシャの劇作家の作品を扱い、テーマはトロイア戦争オデッセウスなどが多かったが、
ここにラテン語で初めて劇の台本を書いた人物が現れる。
イタリアのかかと辺り、スパルタ系ギリシャ文化の強い土地柄から
やってきたアンドロニコ君。
 
ギリシャ語からラテン語に翻訳する際、ただの翻訳するのではなく
ローマ人に届きやすい言葉を選んで補足や選別をして
心に働きかける言葉で感情表現を豊かにするなどの工夫を凝らしたりした。
 
そんな努力が実った紀元前241年、ローマの劇場で初めて
彼の書いたラテン語台本を基に劇が行われ、
この年がラテン語文学の始まりと定義されている。
 
 
庶民の味方ネヴィオ
 
同じ頃、カンパーニア州出身のネヴィオ君という劇作家もいた。
時事ネタを扱った喜劇が人気だったが、
口は災いの元らしく、あまりに過激な貴族評価や特定の人物を劇中で笑いものにしたため、
流刑されてしまった。
 
彼の残した作品にはローマの建国伝説や
イタリア中部に居座っていたガリア人との戦争をテーマにした悲劇、
そしてポエニ戦争を題材に、トロイア戦争の生き残りアイアネスを
ローマ建国に貢献した人物ということにして、作品をのこした。
形式も古代ローマで使われていたサトゥルニという散文形式を用いた為、
ラテン風味は益々濃くなる。
 
更に数本の悲劇にはローマの建国伝説や
イタリア中部のガリア人成敗を主題にした作品を残し、
ローマ的な文学の形成に貢献している。
 
 
 
あんなに陽気が売りのラテン系もさすがに鬱屈が溜まっていたのか、
プラウトの作品には皮肉な展開が多い。
同時代の作品としては、一番文献が多い彼の作品で、
明確で予定調和な作風に、人気を博していた。
 
出てくる登場人物のタイプはほとんど同じで、
話の行き先も良い志のものが徳を得て、
その裏を支配しているのが社会的底辺に生きる
奴隷や路肩の人たちという、
分かりやすい内容で教訓的なものとなっている為、
大人気だった。
 
お笑いの基本は、皆の知っている事柄を使ってひねりを効かせること。
プラウトの使っていた方法は劇場に行くエリートに狙いを定め、
観客の知っているギリシャ喜劇の作品に
意外な一面を加えることにより、話の内容が読めている観客が
一瞬びっくりする隙を突くという方法をとっていた。
 
モデルとなった作品をローマで起こった出来事風にするため、
ローマ人の心理に入り込んで、誰もが頭を使わずに納得できる作品作りを心がけた。
これが大きな話題を呼び、後世にも大きな影響を及ぼす作家となる。
 
 
ギリシャ語で書かれている詩をラテン語に訳する際、
やはり言語の壁というものが存在して、
原文にあったような言葉遊びや、韻や節を上手に嵌め込むことができず、
頭韻法をとっていた。
 
 
Superbiter contemptim conterit legiones
(自負と軽蔑は軍を駄目にする)
 
言葉の始まりが"Con"ではじまり、
その言葉が2回繰り返絵されている、
同じ音で始まる言葉を並べてリズミカルな構文を作ることを頭韻法という。
 
もっと簡単な言葉で説明すると
吉田義男(Yoshida Yoshio)やミッキーマウス(Micky-Mouse)など。
 
 
この時代から半世紀あまり、ラテン語をポエティックに書く方法が発明された。
それがエサメトル(6行詩)という形式。
6単語を一行にまとめた詩のこと。
 
初めてこの方法で詩を書いたのがエンニオ君。
当時はギリシャ文化を捨ててラテン文化を賞賛しようという動きがあったため、
ローマ史を書いたり、百科事典を作成するものも多かった。
 
そこに現れたのが有名な将軍スキピオ
 
スキピオギリシャ文化ファンだったので、自分で稼いだお金で
文学的才能のあるものを支援し、アレクサンドリアの図書館を設け、
ギリシャ文化の擁護に努めた。
 
ラテン文化をもっと発展させたい愛国者たちと
対立するかたちで、サークルを設けたスキピオ
彼の努力でローマはどのように?