ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

芸術とは何ぞや?

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カミッラの絵画作品。
 
オスロ近郊、アスキルの冬景色を
アクリル絵の具を用いて、筆一本と濡らしたティッシュペーパーだけで
数分で仕上げるという、とっても独特だけど色使いと変な遠近法に
趣を感じる一枚。
 
さて、古代ギリシャ西洋美術史に多大な影響をもたらした、という記事を
書き続けているわけだが、今回はそのオリジナル作品の発祥と
どのようにローマ人に気に入られて行ったかがテーマ。
 
また4つも主題のある長い記事を書いてしまったので、
歴史はどうでもいいという方は、1~3は飛ばして直接、下の方の
"4. 現代における芸術家"の方へどうぞ!
 
ギリシャにおける壁画はあまり価値を見出されていなかったため、
大理石や鉄板に漆喰を塗って白くしたキャンバスを
壁に掛けることで回廊に花を持たせていた。
 
                     
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1.現代における回廊の起源
 
回廊(ポルティコ)に掛けられる絵画作品、
その様子は現在におけるピナコテーカ(Pnacoteca)、ギャラリー(Galleria)
つまり、画廊と呼ばれる原型となったのだが、
文学部らしくその言葉の意味を分析すると・・・
 
"Pinacoteca" は2つの言葉から成り立つ言葉で、
 
Pinaco teca と2つに分けられる。
 
 
Pinaco=Pinakes(神に奉納した絵画作品)
 
Teca=Theke(物置)
 
"神に捧げたオマージュ"の貯蔵室とでもいえよう。
 
神に祈願や感謝を込めて、
その神に関係のある絵画作品を奉納する習慣だが、
日本の神社に奉納する絵馬のような役割だと思っていただくと
分かりやすいかもしれない。
 
絵馬と違うのは芸術作品を捧げることであり、
特に権力者によって芸術家を雇って描かせたものが
街の回廊、つまり集会所であり、神々が参加する場所に貼り付けられていたのだ。
 
そのオリジナル作品はほとんどがローマ人の侵略によりお持ち帰り、
そして新たな資金作りにオークションに掛けていたことが、
歴史学者の記述により、知ることができる。
 
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2.古代ローマ人ギリシャアートの偉大性を知る
 
実はローマのお偉い方、紀元前2世紀頃まで、
そういった芸術作品に趣を感じていたわけではなかった。
ただの軍事費用の資金源程度にしか思っていなかったのだが、
ある事件をきっかけに、古代ギリシャアートを愛好するようになる。
 
オークションに掛けたアテネの絵画作品(その作品については不明確)
を"いくら出しても買いたい"と言い出したペルガモン王により、
その作品に何か特別な価値があることを知る。
"神が宿っている"とか"魔法に掛けられている"とかで
古代ギリシャの芸術品は別の付加価値があることを知る。
 
それ以降、アウグストの時代(紀元前1世紀頃)には
その補佐をしていたアグリッパの指令により、
個人の古代ギリシャアート所有を禁止する法律を発布。
 
ローマ人貴族、お客さんやライバル貴族に見せ付けるものを
国に奪われてしまったので、仕方なく編み出した
"所有財産見せつけ法"又は"ライバルから嫉妬を買うための方法"は
以前記事で書いた通り、家の壁をキャンバスに
壁一面を漆喰で凸凹をつけたり、トロンプ・ルイユ、騙し絵で驚かせたりする方法を発達させていった。
 
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3.世界中で引っ張りだこの古代ギリシャ
 
古代ギリシャの壷は、多様に渡る使用法が知られているが、
その価値は世界中の美術館で"引っ張りだこ"のようだ。
 
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←芸術的価値の高い赤絵陶器。
アテネで紀元前6世紀後半に
始まった。
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こちらが黒絵陶器→
コリント地方で紀元前7世紀頃に流行った
黒い塗料で描き、細かい線は焼きあがった後に引っかいて表現。
 
 
 
勿論、赤絵陶器の方が新しい芸術の表現方法で
陶器に使われる粘土の赤い色を残したシルエット法を用いる。
つまり、上の写真で言うところの人物像を残して
黒い塗料で塗っていく方法をとるのだが、
この方法で作られる陶器は多量生産に向いている
 
時代背景として、アテネの街はペルシア戦争により打撃を受けていた。
経済を支えていた農業や林業は戦争のために中断、破壊され、
ポリス再建のため、新しい産業を生み出す必要があったのだが、
丁度良かったのが、陶器の需要性。
 
アテネには港があり、貿易に向いていたことや
当時の輸出品はオリーブやワインなど、運搬に必要な器もまた
生産していた(アテネ産の業務用陶器はスペインやフランス沿岸部でも見つかっている)。
 
では陶器をオーナメントとして生産すことになるのだが、
この時期に開発されたのが、この赤絵陶器である。
一回の焼成で済む為、省エネであり、
更には陶器を飾る絵は黒絵に比べて、同じものを作りやすい、
つまり、大量生産向きの陶器なのだ。
 
こうしてアテネは着実に再建していき、
2千年以上のときを経て、イギリス人に盗まれたパルテノン神殿
ナポリ沖に沈められたアテネなどの芸術作品を作り出している。
 
 
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4.現代における芸術家
 
ナポリ出身の画家、アントニオ・モルジェーゼ(右のおっさん)の
セクハラ絵画教室。
 
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本物の芸術家だが、カルメンと二人きりになりたがるので
頼まれてよく邪魔しに行った。
彼の作品は盗まれて、闇オークションに掛けられ
いくつかはアメリカで見つかったそうだ。
 
モルジェーゼ関連の記事はまた、別の機会に・・・。
 
 
 
クリスマスが迫っているのにイルミネーションの一つもない。
 
数少ない訪問者の方、もし期待していたらすみません。
 
近所のやりすぎ電飾を撮りに行くのが億劫なので
ベルゲンの電飾でもどうぞ↓
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ナポリ、ダンテ広場のイルミネーション。
建物の上にある古代著名人の彫刻もライトアップされて・・・
ディスコか?ディスコも古代ギリシャ語源だ・・・
台の上の土地、つまり舞台、踊るところ・・・・。
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しかし、カミッラ・・・これ、ハロウィン?
 
 
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  GD 
 
        ボン・ナターレって書かなきゃ駄目?