中世考古学は私の大好きな分野であるのだが、
勉強を始めてみると、その分野の曖昧さに長い前置きが必要になる。
そもそも、中世という時代の定義は存在せず、
学者や地域によってかなりのズレが生じるため、
どの本を取っても年代の設定に長い説明を書き添える習慣があるようだ。
そんな中世に区切りをつけようとした
ベルギーの歴史学者アンリ・ピレンヌ(写真右)、
中世ファンのバイブルである。
イタリア語のソースでごめんなさい。
内容はカール大帝(8世紀後半から9世紀)により
西ヨーロッパが形成されたという論文。
航海術に長けていたイスラム勢力は地中海貿易を司り、それにより西ヨーロッパの経済が形成された。12世紀にもなれば、資金をためたイタリアの海洋共和国ピサやアマルフィが海運権を求めてイスラム軍と対立するが、ここではまだ、ヨーロッパの形成についてを語るのみ。
経済と政治で仕切る形をとった。
これらの時代を中世と区別して古典考古学などと呼ぶ。
古典考古学は政治と民族で区切りをつけることが出来る。
逆に中世という時代は政治も民族もバラバラで、始まりも終わりも、
そして地理的にすら定義づけることが出来ない。
強いて政治的に区切りをつけようものなら西ローマ帝国の崩壊476年が
中世の始まりといえるであろう、この年代はイタリアの歴史教科書でもそう記されている
スタンダード中世である。
それでは"終わり"は何年になるのだろうか?
政治的に終わりを区切ることは出来ず、
ルネサンスまでという文化的な出来事で片付けるしかできない。
そんなわけで、大学教育では、この曖昧な時代を
イタリアン人間復興(ヒューマニズム)などの文化面や
時代設定しようという試みも行われている。
中世という時代を定義するのは歴史学者のお仕事である。
では中世考古学は一体どのような学問であるか?
政治的、民族的、文化的、年代的に定義が出来ないので、
いくつかの分野の分けて研究を行う方法がとられている。
1、歴史的出来事を物質的、文献的証拠から探る
(例:カノッサの屈辱など)
2、ローマ時代以降の街の形成、再現と物品の交流
(例:山間部に教会を中心とした街の出現など)
3、城砦とテリトリーにおける保安維持など、点に絞った観察
南イタリアでは西暦2世紀頃の経済再編成から続く
郊外の収穫所における、いくつかの変化を中世にかけて
話されることが多い。
つまり、日常生活の再現よりも変化を見つけてそこをつつくのが中世学なのである。
70年代にイギリスの学者たちにより築き上げられたこの学問は
まだまだ発展途上の状態である。