文学部史学科考古学専攻プラス中世とキリスト教選択・・・
というのが、私の取っているマスターコース。
年末の私の嘆き・・・、それは毎年簡単になるコースの内容。
読む本の数が減って、単位も一回のテストで多めに取れるので
卒業は簡単になるのだが、私の苦労はナンだったのだろうか?
(でも私は辛いコースを取り続けなければならない・・・)
先日受けた中世考古学 IIのテストは
300ページの本を3冊と、教授の作った厚さ5cmほどの資料で(合計2千ページか?)
取れる単位がたったの4クレジット・・・、卒業には180クレジットが必要なので、
どれだけ長い道のりかお分かりいただけるであろうか?
クリスマスだというのに、テストに向けて、ローマ美術を勉強中だったのに・・・
毎年変わる授業内容に、お勉強したところは全く必要なくなり
担当教授も変わって、新しい資料と向き合っているところ。
今、テスト準備にかかっているのは
"美術史から見た考古学 III"
という、絵画作品からその当時の社会的背景や、文化を探る
"ほっといてくれよ!"的な学問。
ただ、古代史専攻の女性の教授は、意地が悪いので、
テストで答えられないと吊るし上げられたり、皆さんの笑いものになることもある。
同じコースの青年司祭は、赤点ギリギリの最低点をみんなの前で読み上げられていたし、
先日の試験では"生きていることを諦めるように"とさえ言われた。
こういう方、家庭では優しいお母さん。
さて、ローマ美術は中世とのつながりがあるので、
まだ、勉強のし甲斐があったのに・・・
新しいプログラムでは苦手なギリシャ陶器絵画と、彫刻を主な研究対象にしている。
ギリシャの壷絵も彫刻もみんな同じ!
と思うのは私だけか?
仕方なく手をつけると、担当教授の学会資料を読んでみると、ちょっと興味深いお話が・・・。
アポロの神殿に描かれた壁画の話。
デルフィのアポロ神殿跡
ギリシャの南、沿岸部にデルフィという街がある、
ここに太陽神アポロを祭った総本山があるのだが、
そこには以前、紀元前5世紀に活躍した画家、ポリニョートによる壁画があるとのこと。
しかし、神殿跡発見時には(18世紀)その断片すら残っていない、
残るのは当時の歴史学者、パウサニアの書き残した文字のみの説明。
文字のみとはいえ、
考古学者の野望というのか、文字で綴られた考古学的資料から、
当時の絵画作品を再現しよう試みが行われた。
研究に参加したのは90年代のアメリカ人考古学者たち。
そして、そこに注釈を入れたり、間違いを指摘したのが、
私のテストの敵である、担当教授。
それでは・・・
壁画装飾は神殿内部にある、小さな長四角の部屋にあったようだ、
神殿遺跡からも、そういう空間の存在は確認されている。
そこの壁の部分は風化され、屋根を支えていた柱の存在が少しだけ残っている。
描かれたテーマは二つ、トロイア戦争とネキア。
歴史的出来事として少々疑わしい。
ネキアとは、同じくオメロ作品、オディッセアの11章に出てくる
地獄巡りのエピソード、"ゲゲゲの鬼太郎"みたいな話しか?
当時の陶器作品を見ればお分かりの通り、
陶器にも物語のエピソードが描かれている。
一つだけでなく、段違いにいくつかのエピソードを描くこともあり、
本のような役割もしていた。
このような当時の壷絵絵画から、壁画の仮説を立てたのが、
私の担当教授。
唯一の資料であるパウサニアのメモから、下図のようなスペースの分配が想像できる。
左がネキア、右がトロイア戦争の物語。
二つの物語は入り口を入ってすぐ、左右に始まり
壁に沿って進み、最後には真ん中赤いの部分がクライマックス。
クライマックスの部分は、入場者から一番目に付く部分に描かれているのがポイントである。
ここに描かれるエピソードは、一番重要なメッセージ性を持っているはずという教授、
実際、"家名汚しの刑罰図"と"アンテノールの家"が描かれているのだが、
前者、家名汚し・・・は音楽隊と伴に描かれていることから、
古い時代は過ぎ去り、新しい先導者とその子孫の時代を象徴している。
これはこの時代に活躍したアテネの政治家である、キモンの半生が関係している。
後者はこの神殿に多額の奉納をしたクニーディの民を象徴している。
アンテノールの祖先は、クニーディの出身だったとのこと。
考えすぎでは?
描かれた人物やその分布はパウサニアの文献から想像できるが、
その絵自体を再現するのは不可能であり、
学者たちはポリニョートの陶器作品から、そのアイコンを拝借し、
再現を可能にした(図解↓)。
ここでまた、アメリカ人考古学者の無理矢理解釈が一つ。
オードネルというアメリカ人考古学者は、パウサニアの文献にエラーがあると推定し、
物語は奥の壁(赤い円の部分)から始まり、入り口でクライマックスに達するというのだ。
実際、グラフィックを使って再現してみるが、
人物が上手く分配されないだけでなく、クライマックスの意味合いが薄くなるとのことだ。
ちなみに皆さん、パウサニアの文献にある
年代設定を信じて疑わない理由は、神殿に貼り付けられた碑文に
奉納者の名前と年代があり、
対ペルシア戦争のお礼として、アポロに捧げた神殿であった
という裏づけ(偶然の一致)があったからである。
・・・そんなのどうでもいい。
なんて思いつつも、興味本位で読みふけってしまった学会資料。
多分、研究段階なので、この仮説、公的にはまだ未発表、
読んでくれた皆さん、ありがとう。
こういうルンルンな気分で、よいクリスマスを迎えて下さい。