ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

神学校の悪魔I

イメージ 1
ベルゲンに出発する日に降り出した雪、
みるみる真っ白な世界になっていく様子がきれい。
 
今回の記事はナルチスト丸出しで恥ずかしいのでコメント欄は閉じておきます。
お時間に余裕のある方、時間潰しにでも読んでください。
 
 
 
カミッラと同じ神学校に通う、ヨハンネスという、見るからに変わった風貌をしている人がいた。
80年代の柄シャツに原色セーター、ズボンも明るい青で、
皆と被っても無難なスタイルをするオスロの子ではないのだと思った。
 
彼と話をしたとき、いつもの中学生男子病が出ずに
眼鏡越しに見える目の色があまりにもきれいな青で、
イタリアではお目にかかれないような色彩だったため、
ずっと避けてきた目を見て話すという行為を再開することにした。
 
イメージ 2
 
 
何かと親切でよく気の付く男の子だったが、
私にスキー板と靴を貸してくれるといったときは流石にいけないと思った。
ノルウェー人にとってスキーは個人的なもので、パンツや歯ブラシを貸すのと同じだ、
それもほとんど面識もなく、人種も違う上、頭の行かれたカミッラの友達に貸すのは
ただ事ではない、ついでに私はスキーをやったこともナイので
板を折ってしまう可能性も高い。
 
こればかりは度の行き過ぎた親切だと思って、
カミッラ抜きで話す機会を探すのだが、
専属通訳の気分なカミッラはどこにでも付いてくる。
授業の休み時間にカバンを教室に置き、その番を頼むことにして、
学食でリンゴとバナナを買っているヨハンネスを待ち伏せし、
やっと話ができそうだった。
 
 
ここで私の根暗ライフが終わった。
 
彼の奉仕精神と隣人愛に触れたからだ。
 
"必要としているものを必要としている人に、自分の持ち物で間に合うものなら、いくらでも差し出す。"
 
そういって、今買ったばかりのリンゴとバナナを差し出してきた。
 
聖書に出てくるいくつかのシーンが頭の中を通り過ぎ、
彼に将来牧師になるのか?と質問してしまった。
 
何てことのない言葉だが、たったこの一言で私は死を待つのを止めた。
 
生きることに対する疲労感と吐き気だけの人生に執着がなく、
妙に繊細な分、ちょっとしたことで泣いてしまうことが辛くてたまらなかった。
小さい子供を見ると、これからの悲しみよこんにちは人生を歩むのかと思って辛い気分になったものだが、
ヨハンネスの言葉を聞いてから、そう思わなくなった。
 
それからというもの、ノルウェー滞在は今までになく楽しい。
いつもは放って置かれることが楽だったのだが、
今回は積極的に話しかけたし、見方も随分変わった。
 
 
イタリアに戻る前、会う約束をしたが、行かなかった。
 
前日に一緒に礼拝堂に行きお祈りを捧げたことや
カミッラが見えないところで秘密の"約束"を交わしたことでもう十分だった。
 
これ以上、会ってしまったら、折角の言葉に価値がなくなる気がしたので、
残念だが、約束には行かないことにしたのだ。
 
彼が牧師さんになったとき、お説教を聴きに行くのを楽しみに。
 
そしてこの言葉を思い出す度に泣いてしまう、
帰りの飛行機の中で我慢しきれずに泣いていると、
隣に座ったイタリア人の女性が心配してくれた。
 
しばしのノルウェーとのお別れが辛いのだと、とりあえず答えておいた。