ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

人間になりた~い

現在、オスロに来て数日が経ちました。
カミッラが教会の用事で留守にしている間に少しだけ、
記事を書こうと思っています。
 
写真もない、今感じていることを忘れないうちに書き留めるだけなので、
お時間のない方はとばしてくださいね。
 
 
 
木曜日の朝、オスロに着き、中央駅から3キロくらい先にあるカミッラの学校まで
重い荷物を抱えて、何とか歩いてたどり着けたのでよかったけど、
携帯電話にブロックがかかってしまい、着いたらコールができなかったので、
仕方なく学食のテーブルに持ってきたラテン語の本を広げて
学生の振りをして待ち続けること小一時間。
 
授業の合間に出てきたカミッラに見つけられる。
 
ナポリにいたときから、待ち合わせできちんとたどり着けなくても、
時間通りつかなくても、カミッラとはなんとか会えるのであまり心配はしていなかった。
 
カミッラが通っているのはMFという神学の専門学校で、
こちらに来る人たちは牧師希望が多い、
ちょうど、イングランド教会とルターについての授業をやっていたので、お邪魔する。
内容が割りと初歩的で、ノルウェー語がわからない私でも十分理解できる。
こんな授業で単位が取れるのなら、私も転校したいくらいだ。
 
神学を勉強するだけあって、カミッラに紹介された皆さんは
イタリア風に言うなら、きれいなお顔をしている。
 
しかし、教室の後ろのほうにはしっかり、不良がいるではないか!
授業中に飲食したり(イタリアの大学だったら、そのレッスンから追い出されます)
回し手紙を書いたり(イタリアの大学だったら、教授にコースから追放されます)
教授の言うことに勝手な妄想を膨らませて笑ったり
(イタリアの大学だったら教授に謝罪しないとテストが受けられなくなります)。
 
ノルウェーに来る度に、自分が人間だということを思い出させられるのだけど、
今回はその理由が少し、わかった気がした。
ノルウェー語がわからないこともひとつの要因になっているのも事実だが、
店員さんや道端で一言交わしただけの人を含めて、
私のことを一個人として認識してくれているからだろう。
 
私が日本人であるとか、イタリアに住んでいるとか、
そんなの抜きにして、大学の話や言語学について話を始めてくれるので(ノルウェー語で)、
だから自分の低い鼻(人種の違い)を気にして、周りの反応に怯えなくて済むことが、
とっても心地良く感じるのです。
 
話しかけてくれる人がきちんと私の目を見て話してくれる、
人間として対等に接してくれていることが、奇跡のようにさえ思えてくる。
 
 
さて、明日は夜行列車でお楽しみのベルゲンに行ってきま~す!