実は重いテーマの今回の記事、南イタリアに残る差別的な表現を少々紹介。
※私は実質的に南イタリアしか知らないので地域を限定しました。
人種差別や呼び方など、いろいろな問題が絡んでいますが、私が今回書きたかったのは自分が意識してなるべく差別的でなく、呼ばれた本人が嫌な気分にならない様気を付けている分、自分が避けている表現を当たりまえのように(そしてその言葉以外の選択肢がないかのように)使い続けているイタリア人に善い意味で大らか、悪い意味で情報が行き届いていない地域であることを感じました。
そんな人たちがどんな呼び名で括ろうと一人ひとりがどう接するかが大事であるということを強く感じさせられたので、この記事を書きました。
ヤフーブログ時代に沢山の方々からコメントをいただきましたが、多くの人たちはある一定の集団を差別的に呼ぶことに対して抵抗を感じているようです。それに対して嫌味で返してきた海外在住のブロガーや重箱の隅をつつき問題をすり替えて南イタリア差別だと怒鳴り込ん来た日本在住のナポリ人に上手く対応することができませんでしたが、基本は人の嫌がることをしないということが大事です。
あなたは毎日の生活で人種、民族に関わらず、身近な人に嫌がることをしていませんか?
いじめ、パワハラ、セクハラ・・・日本人はきれいなことを言っても身近な人の困ったことには手を貸す勇気がないと私は感じます。
ネイティブ・アメリカン、この人たちのことをイタリア語で何と言うのでしょう?
なぜかインド人と呼ばれていた人たち。
現在はヨーロッパ人が到達するまでアメリカ大陸に元々住んでいた人たちを総称して
ネイティブ・アメリカンと呼ばれることが多いのではないだろうか。
インドに住むインド人と区別する為に"アメリカの"という形容詞を付けて表現する。
余談だが、大陸から伝わった食物、私の大好物ばかり、
トウモロコシ、インゲン豆、トマト、ジャガイモ、トウガラシ・・・
毎日の食事に欠かせない素晴らしいものばかり!
だから、サンクスギビングの日(感謝祭)は彼らと引き合わせてくれた神様に感謝するのもよいが、
自分勝手な土地利用をしようとする西洋人に、情けで分けてくれた美味しい作物、
暖かい心をもつ彼らにも感謝すべきだと、信心深いアメリカ人の友人に言いたい。
同じくアメリカの先住民であるこちらの方々は?
アラスカやカナダに住むイヌイットの方々。
イタリアではフードにファーが付いた服を着ていると
"ラップ"という言葉は、ゲルマン系の民族が北方民族を蔑視するのに使った言葉だそうで、
ちなみにこの民族に興味を持っていくつか本を読んだ。
サーミ人についての話
ヨハン・トゥリ
トナカイと遊牧する人サーミのお爺ちゃんが書いた
語り口調と怖い搾取の牧歌的表現が、
まるで、テントの中で昔話を聞かせてくれるような暖かい雰囲気。
そして映画も少々。
Kautokeino-opprøret
歴史からかき消され、残された少数の事実を知るものと
本当にあった怖い話(怪談話ではありません)。
聖書の言葉を道しるべに、良く生きようとする定住サーミの一族と、
搾取に頑張る傲慢ノルウェー人の悲しいお話。
最後はこちら。
ジャクソン・ファイブの方たち。
差別問題といったら、欧米に搾取され、移民させられたアフリカ系の方々。
イタリアでは未だに"ネグロ"と呼ばれている。
差別用語として使われていないとはいえ、やはり問題だろう・・・、
しかし、少なくともナポリにおいてはこの言葉を親しみを込めて使う。
以前、イタリアのお茶の間TV法廷で、アフリカ系の男性が、"ネグロ"と呼ぶなと訴えていた。
問題は自分を人種としてでなく、一人の個人としてみて欲しいというものだった。
うーん・・・この言葉、身に覚えあり。