ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

ドメニコ修道会

13世紀初頭に出現し、庶民にも大評判だった托鉢修道会
フランチェスコ会をともに頭角を現したドメニコ修道会について書いていこうと思う。
 
ドメニコ修道会
創立年: 1216年(教皇ホノリウスにより認可)
創始者: ドメニコ・デ・グッツマン
 
この修道会はちょっと変わった始まり方をしている。
スペインで修道士をしていたドメニコは同じ修道院のディエゴ・アセベスと共に
他ヨーロッパへと布教の旅に出る。
スカンジナビアまで行くとその足でローマへと赴く。
他パーガンの地域にて布教活動をするため、教皇から許可を得るつもりであった。
 
南フランス、ランドック地方では少々極端な教えを説くカタリ派が人気を集めていた。
地元貴族を始め、代々に渡りこの宗派を信仰する傾向があったのだが、
教皇の許可を得ていないことや、聖書の解釈に違いが見られるため、
異端として扱われていた。
 
この現象に対処すべく、割と近所に修道院を置くシトー派にその宿題が
渡される計画であったが、丁度布教活動中のこの2人にその課題を預けられた。
ドメニコは神学を習得しており、尚且つ、司教座の教会法管理官、修道院長などを経験している
エリート修道士であったため、そのような指名が下されたと思われる。
 
同時期にはアルビ十字軍が送られるなど
大々的な異端狩りも行われた。
 
後に修道会としてホノリウス3世から認可を受けるのだが、
ドメニコ修道会は"教皇の犬"というあだ名でも知られている。
ラテン語表記にすると"Dominicanes"つまり"Domini(教皇の) Canes(犬)"という
言葉遊びが出来る事と、もう一つ、ドメニコの教皇直々の宿題であった異端狩りから
異端の審問官として特に教会に貢献したのでそのような名称が付いたと思われる。
 
1215年、フランチェスコと同じく第4ラテラン教会会議に出席、
教皇から任命されて始めた異端狩りから自分の修道会を創設する決心をし、
それに手助けしてくれるものも現れ、1216年、ホノリウス3世から認可を得、
ドメニコ修道会は誕生する。
 
核となったドメニコを含む8人のメンバーはトゥールーズを最初の拠点とし、
聖アウグストの戒律を規律とした。
アウグストの戒律とは、べネディクトの戒律が集団生活の規則を書いたものに対し、
隠者としての修道僧に対する規律であり、禁欲生活について厳しく記されている。
そして3つの言葉を基本理念にいれた、
一年の修行期間を終えたものはこの3つの言葉のもと神に仕えることを誓う。
 
清貧
純潔
 
外出禁止制の規律のもと、注目すべきは学問に力を注ぎ、
多くの著名人を輩出していることである。
更に清貧思想の下、個人的な物の所有すら許されなかった。
そして食事にありつくための物乞い、労働の報酬として食品又は衣服の受け取りなどが義務付けられた。
つまりは托鉢によって日々の食事にありつく修道会なのだ。
 
この精神は禁欲を通すことで俗世間から離脱することが出来るという思想から生まれ、
また、この禁欲を通すために何かしらの良いこと(布教、聖書の勉強、祈りなど)を行うことで、
この精神を貫くことが出来るというものだ。
 
 
 
フランチェスコ修道会に比べて少々格式の高いドメニコ修道会、
白い修道服に身を包む勉学にいそしむ托鉢修道士・・・、
すきっ腹のまま勉強している姿を想像するとなんだかかわいそうになってしまう。
 
名門出身エリート修道士であったドメニコとその意欲に燃えた布教活動は
教皇の命令により異端狩りへと向けられる。
 
学がある分、異端を審問するのはお手の物であったろう。
 
私のノルウェー人の友人はルーテル派のプロテスントが大多数を占めるノルウェー教会にて
少数派のカトリック、ドメニコ修道会のメンバーである。
ノルウェー訪問の際、彼女についてミサや中世についての学会などに参加させてもらった。
聖職者はほとんどが外国人であり、唯一ノルウェー人の修道士、ハーラム氏を紹介してもらった。
素敵な雰囲気の修道士様はとても托鉢するようには見えず(実際現代社会では多少の改正が見られる)、
優しそうでお年を御召しているのにお色気が漂っていた・・・、
あまり話しも出来ずのお休みの時間になり、立ち入り禁止のドアの向こうへ消えていかれたのを覚えている。
プロテスタントの彼はあるとき急に修道士になることを決めたそうだ。
しかし、戒律の厳しい外出禁止の修道院に入門するなど、並大抵の決断ではなかったはずである。
 
中世後期、突然現れたぼろぼろの修道士、貧しい生活を自ら望む聖職者、
今までの豪華で格式高い教会が、一気に身近になり、
聖書を読んだ人、何も知らない人、どちらにもその慎ましい精神は民衆に光を与えたのは事実である。
自分の都合に合わせて異端を狩っていた教会も、
そんな人気とそれを利用して教会の宣伝に使うべく認可を下ろす、
托鉢修道会教皇に対して決して背かず、歯向かわず、
規律をなるべく教皇好みにし、なんとなく平和を保った。
 
昔、テレビで見た日本のお坊さんに
戒名料を取らずに土木作業で生活費を補っているという
とても尊い方がいらっしゃった。
フランチェスコはそれに近いかと思われる。