ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

アッシジのフランチェスコ

13世紀には托鉢修道会の誕生を迎えるのだが、
この時期に入り、教会の運営に異を唱えるものも目立つようになり(カタリ派、ヴァルデス派など)、
教会側の鬱屈は異端狩へ向けられる。
 
教会不信という言葉の方があっているかもしれない。
 
民衆の不満に答えるように生まれた修道会、
 
それが托鉢修道会であった。
 
モットーは清貧、服か食品か、それ以外の高価な贈答品は受け取らないという
宗派である。
 
映画、ブラザーサン、シスタームーンを見ていただければその内容はわかりやすいであろう。
 
映画について触れたので、フランチェスコ修道会から話していこうと思う。
 
フランチェスコ修道会
創立: 1224年(教皇ホノリウスから認可を受けた年)
 
主人公のジョヴァンニ(フランチェスコ)は放蕩生活を送る若者であったが、
アッシジの対抗帝暴動に参加し、皇帝軍により牢獄送りになる、
この経験から神に身を捧げる決意をする。
 
時代は教皇派(グエルフォ)、皇帝派(ギベリン)に分かれて
紛争が繰り広げられていた、ロミオとジュリエットの物語でもこの政治的対立は知られている。
 
さて、この宗派はフランチェスコ自身が見本となる。
聖書にあるとおり、すべてを捨て、聖堂を自ら建設し、
本物の乞食よりもみすぼらしい姿になった彼はアッシジの街で説教を始める。
 
彼のスタイルに惹かれた物が集まり、彼らと教会脇に小さな住居兼聖堂で暮らし始める。
彼らは近隣農民の仕事を手伝い、その報酬に少しのパンや農作物など受け取るが、
現金収入は固く禁じた。
 
フランチェスコはこのグループに対して、修道会を築くことは全く計画外だったのだが、
このスタイルで説教(教えを説く)ことは教皇側から認可される必要があった。
それは彼らが肩書き上"聖職者"としてみなされていない為である、
修道会に属していない、"規則の上での"聖職者としてのステップを踏んでいない彼が
教えや聖書について説教することは違法に当たるため、
当時のアッシジ司教はローマへ赴き、認可を得ることを薦める。
 
教皇インノケンティウス3世は彼の修道会ルールを簡単に書き記すと、
いとも簡単に認可を与えてた(1209)。
 
認可が下りるとイタリア内外で熱心に教えを説く、
こうして成長するフランチェスコ修道会に教皇も監視の目をつけた。
認可承認時のルールがあまりにもシンプルであったため、
もっと詳しい内容を文章に記して持ってくるよう命令した。
 
この修道会はフランチェスコをはじめ、あまり学のないものが多く、
書式の決まったラテン語文での筆記は難しい。
さらに、1215年に行われたラテラン教会会議にて
修道院法改正があり、アウグスティウスの戒律かベネディクトの戒律の
どちらか一方に定めることが義務付けられる。
小さきものの兄弟会には例外も許されたが、
もっと教会にあった規則を書いて提出するという緊急性が生じる。
その中には以下2つの項目を追記することが義務付けられる。
 
- 入門者は一年の見習い期間を設けること
- 教皇の許可なしに旅行することを禁ず
 
その後2人の修道士は修道院に篭り、戒律を完成させ、
当時の枢機卿ウゴリーノに差し出すと、彼の助けもあり、
無事、教皇ホノリウスに受諾される。
 
そして、その後2つの兄弟修道会が設けられる
クラリス修道会 キアラによって開かれた女子修道院
第三会、在俗会 修道士にならず、聖書の教えに沿って俗世間をより良く生きることをモットーとした会。
 
 
フランチェスコは聖書に忠実に生きた人物である・・と思う。
実際、教皇の認可を必要としなければ、修道会やルールなど設けなかったのではないだろうか?
神学を勉強したり、修道院に入るに当たり莫大な寄付が必要であった時代、
その門は金銭的に余裕のあるもののみに開かれていた訳だが、
彼について行くならお金は必要なく、農民や社会的に裕福でないものも
神の言葉に耳を傾けることが出来た。
彼に友愛精神やそれに心を打たれた者が助け合って
教皇からの認可を受けた節は合理的であった時代、
とてもめずらしい現象であり、
映画の場合は、このあたりが涙ポイント。
 
当時の教会関係者は潤っていた上に、汚職がありふれていた、
ぼろぼろの男がもっともらしいことを説教していたら、
耳を傾けずにいられるだろうか?
 
キリストを体現していたフランチェスコは彼の持ち前の魅力もあって、
民衆から受け入れられたのも想像にたやすい。
そんなぼろぼろの彼に恋しちゃったキアーラちゃん・・・女子修道院を築きます。
 
クラリス修道会は未だに戒律の厳しい修道会で、
外出禁止のクラウスレ形式をとっているため、
家族との面会は月に一度だけ(それも修道院内にて)、
日曜日のミサはコーラス席から家族を見ることしかできない。
 
一時期、フランチェスコ修道会の修道院に数ヶ月ゲストとして過ごさせてもらったことがある。
聖霊会という名のついた女子修道院なのだが、
4階建ての建物に40部屋ほどの寝室と各階に設けられた4つのトイレとシャワー、
そして食堂に談話室、庭園、礼拝堂があり、
4人のシスターさんたちがいらっしゃった。
 
キリスト教徒でもない私はここぞとばかりに礼拝や典礼に参加し、
夕刻はテレビを楽しむ彼女たちと一緒に過ごしていた。
そんな変な東洋人に親切でロザリオを下さったり、司祭さんを紹介して下さったり、
なんと!司教館の彼の書斎を見学させて下さったりした!!
 
彼女たちは食事は当番制のようだったが、
掃除、洗濯は外部からいらっしゃる方が担当していた。
 
ゲストの誰かが病気にかかれば、徹夜で看病していたし、
気持ちが落ち込んでいたら、お話を聞いて下さった。
 
穢れた神父を知っている私には彼女やその司祭の優しさ、
人間の大きさによく感動していた。
 
この修道院にゲストとしていきたいという方は連絡下さい。
本当にお奨めです。