ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

清貧思想、その後

精神思想から出現したフランチェスコ修道会、
教会汚職やそれに見合っていない豪華な生活を送る聖職者たちを
弾圧し、異教とみなされ迫害されたバルドス会の一例があったように
この思想は教会と平和を保つためにいくつかのルールを改定しなければならなかった。
 
 
教皇に許可をとってから伝道の旅に出る
新入門者に一年の見習い期間を設ける
修道服の制服化
 
など、これらのルールは1215年、第4ラテラン会議で議決された修道院法改正に伴い
1223年に書き上げられたフランチェスコ会修道院法にも
その記述が記されている。
 
それとは別に
 
創始者であるフランチェスコが亡くなった後、
新入門者たちの更なる野望を持ち、何とか権力を得ようとする者で溢れる。
 
布教活動や清貧思想から得る禁欲生活や瞑想、祈りを行いつつも
修道院を媒介とし、権力を握ることを考えるもの、
または諸聖人のようにその教えにしたが生活するもの。
 
2つに分かれた修道士グループ、
これは初期の修道会が目的とする清貧、禁欲とは方向違いであった。
 
もともと修道院内に階級を設けることは修道院内の均衡を破るので
そういった試みは避けられてきたが、ここで指導者として出現した修道士エリアは
博のある人物であったため、そのような役割を組織に買って出た。
フランチェスコ側にしてもそういった人物に運営や指導をお願いするのは
修道院の為になると思っていた。
 
ただ、フランチェスコの生前は彼がすべての指揮を執るまとめ役であったのだが、
彼の敷いたルールのもと運営されることを願って遺書を残したという記録がある、
この遺書は教皇グレゴリウス9世により無効とされ、
規律の改正を余儀なくされる。
その中には金銭による寄付の受け取りを可能としたものが追加された(直接でなく第三者を通じて)。
これは修道院に日々の収支をつけることで修道士は托鉢をする必要がなくなる、
ただ、個人的な財産の保有は許されず、入門に当たって持っていたものすべてを修道院に寄付することが決まっていた、そして修道院としての富の保有は事実上可能という状態になったのだ。
 
エリアはフランチェスコの死後も戒律に沿って修道院を運営しようとするが、
当時、破門されていたフリードリッヒ2世に会ったことがグレゴリオ9世の気に障った。
時代は教皇派と皇帝派という2大勢力がぶつかり合っていた時代、
敵対する皇帝と会っていたことは破門に値する行為であった。
 
さらにフランチェスコの生前同じくして修道院運営を一極集中型、
つまり一人の上官がすべての責任を持つという形に戻していくことを目指した。
 
彼の運営に異を唱えるものも多く、そうしたものたちにより、
フランチェスコ修道会はいくつかの宗派に枝分かれしていく。
 
その一つがフランチェスコ修道会コンベントゥアル派である。
アルベルト・デ・ピサ指導の下、聖職者のための威厳を持った共同生活を基本とした。
また、一人だけをトップに責任を持たせる一極集中型の運営から
ドメニコ会に見られるような分権制をめざした。
 
また、フランチェスコ修道会に特権として教皇インノケンテウス4世により、
修道院経営のための援助が始められ、基本として物品の支給や
布教活動に必要な経費が与えられた。
 
このあたりから修道会は教皇に翻弄される、
先の教皇のように気に入られれば、援助が受けられるが、
そうでなければ、全ての援助は打ち切りされてしまう。
 
一方エリア支持のゼランティ派ではエリアのあとを継いだジョバンニ・パルマが亡くなり、
ジョバンニ・ボナベントゥーラがその役職につくとフランチェスコ会の伝統を守り続けた。
しかし、時間の経過と共に楽な方へと流れていく修道会、
教皇から直々の援助や特権を受け、ぬくぬくしているところ
教皇クレメンテ5世(アビニョン庁第一代目)はボナベントゥーラの敷いたルールに戻ることを
義務付ける。つまり、始まりとまでは行かずとも清貧思想の奪回をすることとなる。
 
こうして現在に続く托鉢修道会は3つに分かれている。
そのうち、フランチェスコ会、コンベントゥアル派、カプチン派である、
カタコンベで有名な3つ目はもう少し後担ってからの出現となる。
 
ドメニコ会の内部危機について特にこれといった記述は残されていない。
1200年代、托鉢修道会は民衆の心が現実化したような修道会であり、
この時代は最も信仰が奥深く浸透した時期でもあった。
 
 
 
 
清い気持ちで始まった托鉢修道会
存続のためにいくつかのルール変更が行われたり、
または人生の飛躍の足がかりとして入門するけしからん輩がトップに立つと
自分の都合の良い方向へ持って行ったり流されたり、
天上で困っているフランチェスコを想像してしまう。
 
フランチェスコ会の初期の戒律を守っている宗派が
ナポリに存在する。
彼らは捨てられた鉄道の車両を住処とし、
食事、衣類以外の寄付は受け取らない。
そういう修道士さんを見かけたのだが、顔がやせこけていてまるでキリストのようであった。
それとは正反対に友人の教会司祭はドイツ人の素敵な愛人を持ち、
でっぷりした体格に自分の教会及び敷地を整備し、
彫刻や人工池、橋、野外礼拝堂など、バチカンの金を思いどうりに使い果たしている。
 
そういうコントラストは世の中の矛盾をかもし出していて
本当、虚しい気分にさせてくれます・・・。