ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

婆様戦争体験談

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去年から集団的自衛権に興味深々のネネ、
それとも毛生え薬の広告が気になるのか?
 
 
毎日暑くて泳げる海が恋しい私です。
プールの塩素と汚染された海しか選択肢がないなんて悲しすぎる!!

なので、少しでも涼しくなりたいので
暑いので怖い話から始めようと思います。
(涼む方法が怖い話というのも悲しすぎる)

数か月前、変な夢を見ました。

玄関の戸を叩く音がしたので、ドアを開けると
軍服姿の男性が立っています。
何も言わずに家に入ろうともしません。
そして、なぜか私はおにぎりを渡そうと台所でお釜からお米を取り出し、
大きなおにぎりを作りました。

玄関にいたはずの軍服姿の男性は家の庭に座り込んでいましたが、
私がおにぎりを渡すと、消えて行ってしまいました。

そこで目を覚ますんですが!

夢を見た翌朝の仕事は利用者さん宅での書類整理と言う名の
不用品を捨てる作業です。
部屋を片付けていると、利用者さんが“父の写真が出てきた”と
私のところに持ってきました。
その写真を見てゾッとしました、何故かって
その写真の人は夢で訪ねてきた軍服姿の男性だったからです!

稲川淳二の心霊いい話風のお話でした。

ここから、私が仕事柄、直接聞くことのできた千葉での戦争体験談です。

さて、この利用者さん、仮にAさんとしておきますが、
この方は戦争体験者です。
当時は千葉の中心街近郊に住み、
食糧難で闇市へ買い出しに出た話をよくしてくれます。
買い出しに行った日は警察の目を逃れるためか、
暗くなってから帰路についたそうですが、運悪く警察に捕まってしまい、
やっと購入できた食糧を没収されたしまったと
今でも恨み言を言っています。


別の利用者さんで戦前から割と経済的に豊かだったBさん、
千葉大空襲の日を覚えています。
今でも文化的に高く、千葉大や東大の研究所があり、
老舗フレンチもあるパリ風の街だった地域にお住まいだったそうで
遠くで真っ赤に焼ける市街を見たそうです。

終戦後、東京に徴兵されていた兄が帰ってこないので
霊能者のところで安否確認をすると、
生きているが事情で帰れない状態だと言われ、
生きていることを願って一か月程経った頃、
疲労困憊で戻ってきたのだとか、そのときのお兄さんがすごく“人臭い”。
“人臭い”というのは、死体の中を歩いてきたので
凄まじい死臭が染みついて帰ってきたということだそうです。
 
また、従妹が埼玉に疎開していたので、千葉の九十九里あたりまで
何日もかけて歩いて帰ってきたことなども話してくれました。


そして、もう一人、うちのばあ様と張り合うくらいクソババアなCさん、
大正生まれで、一人暮らしは気が楽だと配偶者が亡くなっても
シングルライフを楽しんでいる慎ましいばあ様です。

こちらの方は東京大空襲も体験しています。

下町に住んでいたので、焼夷弾が落されると民家の軒に次々と火が付いて
追いかけられるように防空壕に逃げ込んだと話していました。
戦時中、兄たちが徴兵され、関東大震災の再来で壊れるであろう
造りの弱い建物を壊して回る部隊に所属していたそうです。

“空襲されたら、全部なくなるのに”

そんなことを言っているCさんですが、
東日本大震災時はスーパー銭湯でくつろいでいたそうです。

終戦間際には長野へ移住し、農家の広い家の一角を借りて生活を始めます。
農家には食糧難だった東京では考えられないくらいお米の備蓄があり、
天国のようにさえ思えたそうです。
出される食事にはイナゴやハチの子などもあり、最初は躊躇するも
空腹に負けておいしく食べられるようになったとか。
移住先では、男性が徴兵されたために人手が足らず、
土地が余っていたので、そこで米を栽培するように勧められ、
自分で作った米を食べたときのあの味が忘れられないと今でも話します。
ただ、圧倒的に農機具が足りず、自分の力だけで土地を耕すのは大変で
3年後には東京へ戻っていったとのことでした。

空襲では人の苦しむ声は沢山聞こえたけど、人の死体は見ずに済んだそうで
そのかわり、焼けた動物が転がっていたことを覚えているそうです。


皆さん、それぞれの戦争体験談がございます。

私の祖父母、農家だったり、千葉の秘境に住んでいたりで
悲惨な戦争体験はしなくて済んでいます。

話をしてくれた婆様方は、治安維持法の話などはしませんでした。
それだけ、洗脳されていたのだと思います。
今は女性が声をあげられる時代です。
先日お母さま方のスピーチを聞きましたが
私がベジタリアンをやっていることと同じことを話していました。
 
きっと集団的自衛権廃案は実現できると信じています。