3年前のあの日、コンサートの日程に合わせてノルウェーに行った日でした。
オスロ行の便が早朝なので、前日から空港で野宿します。
その日が3月11日でした。
いつもウキウキなはずのノルウェー旅行も
チケットの予約も気が進まず、日程を何度も変えて
かなりギリギリで予約をしたことを覚えている。
原発事故のニュースを知った後、ありったけの新聞を読み漁ると
瓦礫の上で長靴を脱いで泣いている女の子の写真と
放射能が検出されたであろう人が隔離されている写真を見てしまった。
“ATOMSVERK”の大きな文字が新聞の一面を占めていた。
広瀬隆のインタビューを見て、インチキおじさんであってほしいと心から願った。
私が不安を抱えていても状況は変わらないので、
ノルウェー滞在を楽しもうと思ったけど・・・
氷の亀裂は地震によって起こった地割れを
タバコの煙は原発事故を連想されるのか
日常で見ていたなんてことない風景に心臓が止まりそうになるほど、驚いていたし、
息を吸っていいのかとさえ思った。
カフェにいたヒッピー上がりのおじさんに新聞を読んでもらったり、
カミッラの知り合いに手あたり次第、自分の不安をぶちまけ
どうしようもない気持ちを落ち着けるために
日本大使館へと向かった。
私の感情をぶつけた犠牲者の二人。
イタリア語の話せるスウェーデン人とカミッラのクラスメイト牧師さん。
アメリカ政府の受け売りからか、金属探知機を通り抜けて中に入ると
被災者に向けてのメッセージを書くノートが用意され、
無言で仕事する丁寧な人たちが数人、ブースの向こう側にいた。
被災者の安否確認でなく、原発情報についての情報提供を求めたため、
一番信用してはいけない政府官邸のサイトを印刷して渡された。
私、何故か信用してはいけない気がして、
心のつっかえ棒がもっとひどく重くなるだけだった。
紙幣での募金が多く、すぐに一杯になるので、募金する人が苦戦しながら押し込んでいく。
ホームレスのおっさんも道端で物乞いをした小銭を募金してくれた。
オスロ大学に交換留学している日本人の女の子たちが
とても明るく話しかけてくれて、久しぶりの気晴らしになったが、
原発問題はちっとも解決しない。
募金活動は道端の人と気軽に話せると
情報入手にもなるので、ベルゲンでも行った。
珍しくきれいに晴れてるベルゲン
大好きなアイリックの自宅をストーキングしたいのに、
そういう気分にもなれない。
なぜ、日本政府が情報を隠すことを知っていたのかは
今となってはわからないけど、
原発の話に関して、日本人はあまり話したがらないようだったのも不思議。
同じホステルにいたイタリア人がローマで政治活動をしている人だったので
この人とは、今でも連絡を取り合っている。
カミッラのボランティア先の介護施設、この方、90歳を過ぎたかなり強敵のクソババアらしい。
このばあ様にも元気づけられてしまった。
道を歩いているときに、何人かのノルウェー人に声をかけられ、
原発事故はどうなっているのか、
面識のない人に聞かれたりもしたが、
私も事実を探っていて、本当のところはわからないとしか答えられない。
座っていることさえ、苦痛に感じるほどのショック、
道端の日本人に原発の話を持ち掛けても、知らないとしか答えない
ネットでは、アホなおばさんコメンテーターが、
火力発電所の事故と、どう違うのかわからないみたいだったことも
すごくショックだった。
この事故を誰が忘れるか?!!
その事故が今でも続いていて、
私たちは自分で情報を入手して危険を回避して生きていかなければいけない。
この事故で世界のすすむ方向が顕著になったのだと思う。
この事故がきっかけで
皆が世界をよくしようと頑張ったから、
今のような良い社会がある。
50年後に皆がこう言ってくれることを願っています。
まだ、避難生活している人、
移住を検討している人、
最近は若者が突然死するというニュースもよく聞きます。
土地を追いやられる辛さは、私が書いてはいけないとさえ思います。
とばっちりを受ける動物たち、自然の生態系が壊される
恐ろしい被害・・・。
皆さん、地球がどうやってつくられたかご存じですか?
宇宙の塵に偶然が重なって出来上がった惑星である地球、
生物がすめるようになったのも、
原子と中性子の偶然が重なって現在の環境が作られています。
だから、私たちが勝手にその構造を作り替えたりすることは
タブーなんじゃないかと思います。
もっと自然と仲良くなってほしい。