ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

大学の出現

西洋における大学とは日本の認識とは少々違っている。
 
大学をイタリア語で
 
Universita’ degli studiと、書く。
 
ユニバーサルに勉強するところというわけだ。
 
つまり、国籍や文化を問わずに学問を学び、発達させていくところというの本質であったのである。
実際今日のヨーロッパ諸国の大学は大変間口が広く、留学生の受け入れや放出も盛んだ。
ヨーロッパ内の大学で取得した学位もほとんどのヨーロッパ圏内で通用するのが、
このような大学形式は中世の大学形成時に既に基盤が出来上がっていた、
それはキリスト教、ローマンカトリックと強いつながりがあることを忘れてはならない。
 
そもそも大学では神学、哲学、法学、医学が主な学部であり、
いずれも教会や聖職者たちとつながりが強い。
 
 
イタリアでは少し前まで、修道女たちは子供たちの教育を受け持っていたし、
中学、高校の宗教の時間には教会から派遣される司祭や助祭が教壇に立っていた。
ペンの力は天上の権力者が担っていたのだ。
 
 
大学は中世後半に入った頃、政治の落ち着いたヨーロッパで出現し始めた。
1000年以前の西洋では聖書と並んで古代ギリシャ、ローマ時代に書かれた文学作品を写本するのが
修道院の仕事の一つであった、古代文学はキリスト教徒にとってはあまり好ましい作品ではないのだが、
文学好きの僧たちは何かと理由をつけて作品を後世に残そうと書き写し、
そのおかげで現在ローマ時代の書物を読むことができるのだ。
 
9世紀にはカール大帝により、宮廷学校が開かれる。
皇帝は文盲であったが、聖書から文学、詩に至るまで、とにかく文字を愛した。
 
同時期には南イタリアにヨーロッパ初の医学学校が開かれる。
 
13世紀にはドメニコ修道会にも見られるように、神学の研究が盛んになる。
この修道会からは多くの文才たちが育成された、その文才たちもいずれ教壇に立ち、
教える側に回っていった。
 
この時代、周辺の学校を集めて大きな組織となったのがパリ大学である。
神学や哲学の研究が盛んで、教皇から特権を受けていた。
 
イタリアではパドヴァ大学ナポリ大学、ボローニャ大学などが設立される。
大学で勉強するに当たって、一般教養として哲学の学位を習得してから専門分野に手をつけるという
方式が取られていた。
また大学で学位を取得することは貴族のステータスであった。
 
それまで存在していた学校との違いは一言で”ユニヴァーサル”であったことだ。
ここで勉強するものは既に教育ができあがっているマスターであれ、これから勉学を学ぶビギナーであれ、
出身地や国籍までも問わなかったことだ、そしてその学位は西洋カトリック圏ならどこでも有効であった。
 
一方地方の高等教育は以下の通りである。
 
文系のトリビオ(修辞学、ラテン語、哲学)
理系のクアドリビオ(数学、幾何学天文学、音楽)
 
中世後期は今まで蓋をしていた哲学の研究が盛んな時代であった。
スコラ哲学とキリストの神性を結びつけ、西洋キリスト教における神学の基盤を築いたアウグスティウスだが、
中世前期、政治が安定しない時代には教会の維持のため、新しい思想の展開は避けられてきた。
十字軍遠征と伴に再び浮上した聖書読解ブームは新しい風をもたらし、人々に知識の喜びをもたらした。
 
中世という時代は女性蔑視の例えに使われることがあるのだが、
この時代、貴族階級のものはサレルノ医学学校で教授をしていたり、いくつかの医学論文まで残している。
文学の分野でも著名な女流作家も数多く、その分野は歴史、聖人伝、聖書に対するコメント集など
多岐にわたっている。