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托鉢修道会

托鉢修道会とは・・・
清貧思想をモットーにすべての世俗の欲を捨てて慎ましい生活を送る修道僧たちの団体である。
 
13世紀初頭に生まれ、教皇から認可を受けることに成功し、現在に至るまで
その団体の名前は残されている。
 
フランチェスコ修道会とドメニコ修道会である。
 
時代は十字軍遠征に終止符を打ち、人々が真の信仰を求めて聖書の読解に
教会のあり方に疑問を持ち始めた頃である。
 
同時期にはいくつかの精神思想から新しい修道会や新リーダーが出現し、
そのたびに教会側から弾圧、迫害、解散を余儀なくされていった。
 
 
では、今日まで残るこの修道会はどのようにして教皇との距離を保っていったのか?
 
 
答えは難しくない。
 
教会の財産ややり方に一切の介入を避けたからである。
 
 
フランチェスコ修道会:
イタリア中部ウンブリアのアッシジ生まれたフランチェスコは裕福な商人の息子であった。
金持ちの放蕩息子生活の後、30歳にて開眼する。
家族から受けたすべてのものを捨てて、物乞いをしながらキリストの友愛を説いた。
彼の教えに心を打たれた者たちが次第に数をなし、
修道会が結成されると当時の教皇インノセンティウス3世に認可を受けにローマへ向かう。
伝説によればここで認可が下りたことになるのだが、実際はいくつかのステップがあったと思われる。
 
教皇から認められたならば、布教活動を行うに当たっての問題は少ない。
イタリア以外にもフランス南部やスペインへと向かい、カタリ派北アフリカ人たちに
友愛精神をモットーとしたキリスト教を説き、洗礼を奨励する。
 
このやり方はアルビジョワ十字軍など、暴力により問題解決を図った教皇に対し、
とても近代的であったといえよう。
 
そんな彼のスタイルに心を打たれた乙女キアーラは
サンタ・キアーラ女子修道院創始者となる。
 
映画"ブラザーサン・シスタームーン"を見ていただけたら話は早い。
フランチェスコの清い表情は尊い
 
 
ドメニコ修道会:
カステラの銘菓で知られているカスティリア地方出身のドメニコを創始者とする修道会。
こちらも清貧思想を重んじたが、神学の研究に熱心だった学者グループといえよう。
清貧思想のほか、神学を習得すべきであるとした。
1216年教皇オノリウス3世から認可が下りている。
 
マッド神学者たちな修道僧は学術に長けていたため、トマス・アクイナスなど、
多くの学者を輩出し、その知識を持って異端裁判の審問官という任務を与えられることも多かった。
 
 
そのほかにも
アウグストゥス修道会やカルメル修道会など、この時代に托鉢修道会として頭角を現し、現在まで続いている。
 
托鉢修道会における重要性は庶民に清貧思想を説いたことである。
豪華絢爛な生活を送る聖職者や聖書の内容とは遠い組織を持つ教会に
内心あまり感心していなかった貴族階級のもの、または代々続けられる搾取に途方にくれる
庶民たちにとって、彼らの教えは心強く、その教えを体言している修道僧は身近であり、
新しい精神世界のリーダーであったと伴に神学の分野において素晴らしい功績を残した。