ヨーロッパ世界のキリストは地中海世界から北上する形で押し上げられ、
中世期の西洋を形成に多大なる影響を及ぼした。
ブリテン島はずばり、現在のイギリス領土である島であり、
4世紀にはローマ人侵攻により、現在におけるドイツよりも先にキリスト教が広まった土地であること
を忘れてはならない。
ガリア同様、ローマ時代に司教区が置かれ、ヨーク、ロンドン、リンコルンの司教たちは
教会会議に参加していた記録が残されているほど、重要な地点であった。
アングロ族、サクソン族、ユート族である。
島の端へ追いやられていき、その結果として、この時期のブリテン島は再び、パーガンの島と成るのである。
ユート族の王、エテルベルトとその従者一万人の洗礼に成功し、カンタベリーに落ち着く。
ここで個人的な感想を入れさせていただきたい。
いくつかの集まりやクルトにも参加してきた。
彼らは率直に言って選民思想が高く、他の宗派や宗教に対して排他的である。
人間は完璧でないにしろ、仮にも布教活動をするのであれば、大グレゴリウスのように
相手に受け入れやすい形で話を出来ないものかと思う。
いきなり死後の世界で小学生を脅す、合衆国生まれの宗派など悪く言ってしまえば洗脳だ。
ユート族に続き、サクソン族、キリスト教を拒んでいたアングロ族もその王の死とともに
足早にキリスト教化されていった。
テオドーロ・ディ・タルソが現れる。
ギリシャ文化をもち、ローマとのつながりが強いため、
小言の多い上司であった。
以前の記事でも触れたとおり、キリスト教は地中海で生まれ、ギリシャ哲学とのつながりにより西洋社会へ流れ込んで来ている、更には聖書はギリシャ語で書かれているため、本場で特訓した人物に新参者であるゲルマン、ケルト文化を融合したキリスト教というのは正統派から外れるのである。
カンタベリー及び、ブリテン島の宗教史を書き綴った修道士、ヴェダ・ヴェネラービレについて少し、触れておこうと思う。7世紀から8世紀にかけて文芸活動に貢献したこの僧はゲルマン民族の出身であり、この時期のマニフィックな布教活動と、修道院における"カテドラル、学校"の素晴らしい飛躍についてを書き残している。
そしてそこからさらにローマとは少し違った方向へ伸びていき、ゲルマン民族の貴族を味方につけ、
7世紀末には島からローマ色の濃い大陸へと進出していく。
ここでミッションに参加し、名前を残しているのが、ヨークの司教ヴィルフリッドである。
新たなキリスト教との交友関係が結ばれようとしていた。
第一時期(500-700年)はここで幕を閉じる。
次回はヴィンフリッドと彼の布教活動について。