ナポリの小枝とノルウェーの切り株

ノルウェー、ヴィーガン、猫とおそ松さん

フリードリッヒⅡ世のお城

中世後期を代表する南イタリアの名君主である
フリードリッヒII世
 
興味があるけど知らないという方へ
 
フリードリッヒⅡ世(1194ー1250)
スワビア公であるヘインリッヒ六世とノルマン系貴族オートビル家の末裔、コスタンツァとの間に生まれた
ノルマン人の血を引くドイツ系貴公子である。
祖父はシチリア王ルジェーロと神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ赤髭王と
血統からして既に出来上がっている人物、
当時にしては珍しい心と頭の政治で、南イタリアを治めていたのだが、
その人気や変わった政治体系にローマ教皇より反感を買い、
3度の破門を言い渡される、ここからイタリア全土にわたる争い、
ギベリン(皇帝派)とグエルフォ(教皇派)の派閥が始まった。
 
 
字を読むのがめんどくさい人へ
 
ドイツ人のイタリア好きが血統が絶えそうな南イタリアの王位継承者と政略結婚し、
生まれた君主、戦争よりも勉強が好きなせいで、平和を唱える教皇になぜか嫌われ、
これがきっかけで、大規模な政治派閥が誕生した。
 
 
さて、ここからが本題。
 
大学の遠足で行ってきたフリードリッヒ2世ゆかりのお城、
 
ラゴペーソレ(Lagopesole)
 
ラゴペーソレは南イタリアの足の裏、バジリカータ州北部、ポテンツァ県に位置する、
お城は小高い丘陵になっている旧市街の天辺にあり、
現在は博物館として無料で公開されている。
 
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お城の外側、土台が傾斜しているところは修復時に付け加えられたそうだ。
ところどころに開いている窓も持ち主が変わるたびに付く加えられたり、塞がれたりしている。
 
見てわかるように小高いだけの丘に建てられているため、
敵の急襲など、突然の攻撃には耐えられない。
狩をするために建てられた趣味の館として機能していたそうだ。
 
フリードリッヒ2世の時代には現在の入り口の反対側に馬が通れるくらいの
入り口があったようだ。
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このお城から出てきた陶器。
見て取れるように、皇帝のアラブ・ノルマン趣味ともいえる模様と色使いだ。
濃いブルーや緑、黄など、複数色により彩られ、その模様はプーリア州で作られたものや
カンパーニア州の同時代のものと一致することから、同じ工房で作られた可能性が高い。
逆に、この皇帝及び、その後の君主フランス貴族のアンジュー家もあまり気に止めなかったカラブリアでは
陶器のスタイルに特異性がある。
 
さて、この陶器は食器としてだけでなく、オーナメントとしても使われていたようだ、
陶器の彩色に使われている原料は鉛や錫など、毒性のある金属が使われている。
 
さらにプーリア州にはムスリム人による陶器工房が存在していた跡も見られる、
皇帝は母方の先代より続く文化好きで、シチリアに人種、宗教を超えた文才を集めて学校を開いたほどだ。
十字軍遠征が盛んだったご時勢、謀反を避けるため、陶器技術に長けたムスリム人を
自分から遠いプーリアに工房を作り、移り住ませることとで丸く治めていたのだ。
実際、この工房跡にはイスラムのシンボルである三日月マークの釜が見つかっている。
 
フランス貴族、アンジュー家の統治時代になると、
パレルモからナポリに首都を移し、この城は夏の別荘として使用される。
夏の間だけの住居だが、食器類は全てナポリから持ってきたようだ、
少し遅れて、同じ食器類がカンパーニア州で見つかったのもこのように裏付けすることができる。
 
この時代のになると、お城のゴミ箱跡から当時の食生活を知ることができる。
彼らの好みは鹿や猪などの野禽類や魚だったようだ。
ラゴペーソレは内陸部である、川や湖などは遠く、隣のプーリア州まで行く必要がある、
実際、淡水魚はサルピ湖まで海水魚イオニア海に使いを送っていたのであろうと推定される。
面白いことに甘酸風味に料理したものを食していたようだ。
 
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中庭の写真、中央に貯水槽、スロープを登って左側が博物館の入り口、
右側の入り口は礼拝堂である。
この部分だけ、ばら色の大理石で作られているのだが、
どうやらイタリア中部から運ばれてきたらしい、アッシジにあるサン・フランチェスコ教会を想像して頂きたい。
同じ色調を持っている。
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コーラス席から見た礼拝堂内部。
当時のフレスコ画がかろうじて残っている。
この教会に関する記述は特にない、もともとこの城は11世紀のノルマン統治時代まで遡る。
個人的な見解から、フレスコ画のスタイルは13世紀のものと類似しているため、
フランス貴族統治時代のものと推定、ノルマン人の建築技術は好戦的な角や分厚い壁を意識したものが多いのに比べ、アンジュー家は円や曲線美と上へ伸びるゴシック様式を好んでいる。
その中間に位置するのがフリードリッヒ2世の時代だ。
絵画技術は肖像画などから、アラブ要素の濃い筆書きや頭の大きな等身法で描かれることの多い
ノルマンの君主達、フランス貴族はもう少し線が多くなり、ヨーロッパ絵画術に近くなる。
 
ノルマン人の人種を超えた文化欲とそれを継承したフリードリッヒ2世、
私が一番興味を持っている時代は彼らに統治されていた南イタリアである。