レーネ・マリーとの待ち合わせに失敗してから、予定していなかった彼女の住むアパートに徒歩で向かい、一休みの後、今度はイーゴルの家へ何の連絡もなしに行くことになりました。
車の修理工場かな?
何もない道をまた行くのですが、イーゴルはグレフセンに住んでいるらしく、現在地のブレッケからはどう繋がっているのか地理関係が全く分からない。
この日はそもそも、レーネ・マリーと近所の公園に行ったあと、海辺なり、緑地なり、繁華街なり、徒歩圏内で散歩する予定だったため、スマホとレンタルWifiを持ってきていなかったのだが、後で恐ろしく後悔することとなった。
前日まで結構雨が降っていたので、足場の悪い広い緑地があり、そこを超えるとトラムの路線が見えたので、この路線を辿れば知っている地区までは行けるだろうと安心感を覚える。
その数分後、“家が無くなった!”とカミッラが言った。
じゃあ、あきらめて帰りますか!とは行かず、道端で見かける人に手あたり次第、声をかけては道を聞くが、イーゴルの住む通りの名前は分からない上、家の特徴として商店が一階にある黄色い建物という10年前の情報だけ。
目の前にあるコープの建物は青く、二階部分がアパートになっているようには見えない、この日は祝日でスーパーは休みのため従業員らしき人もいないので、情報を聞き出すことはできなかった。
親切な犬を連れた老紳士が、別のスーパーの場所を教えてくれたので行ってみると、今度はEXTRAという同じくコープ系のスーパーがあったが、カミッラの記憶では、場所が一致しないらしい。
歩道のない細い道を車に轢かれそうになりながら進んでいくと、日曜祝日でも通常営業しているJokerというスーパーを発見。
その裏手で見たモノ
ハートの飾りがかわいいアパートが見えた。
門の入り口には“イーゴル”の表札が!
カミッラのうろ覚えで着いたイーゴルの家だったけど、不在のようだったので庭で仕事をしていた男性に声をかける。
小太りでスキンヘッドの男性は映画レザボア・ドッグスのTシャツを着ていて、聞き覚えのある拙い英語でノルウェー語が話せないと言う、すぐにイタリア人、それも知っている空気感のある南イタリアの人だと直感したので、私たちがナポリ大学で勉強していたことを伝えてみると、事情をすぐに理解してくれてイーゴルの近況について教えてくれた。
車でお使いに出たから30分もすれば戻るというので待っていても良かったのに、この近くにある修道院まで行ってみようというカミッラの提案に乗ってしまった。
聖ヨセフ修道院だったかな?
こちらは主にカトリック青年会などで宿舎として提供したり、学生寮的に貸し間として家賃を徴収する建物らしい。
外側からしか見ていないが、居心地がよさそうだ。
イタリアやイギリスの修道院は歴史的建築物だったりするので、お化け屋敷的な重い空気を感じるのだけど、ノルウェーのものは割と新しくてインテリアも北欧のカラ元気な色彩でポップなのがかわいい。
シスターさんがいるのは右の建物
ガラス張りの玄関が70年代のノルウェー建築っぽい。
ここの玄関は開いていて、勝手に中に入っていったのはいいけど、ある程度のところから立ち入り禁止なので、誰かが出てくるのを少し待っていた。
時刻は午後8時を過ぎているので、聖職者は一日の日課を既に終えている・・・ので、テレビ室とかでシスターが見てもよさそうなミリオネアとかのクイズ番組でも見ているのだろう。
玄関にあった彫刻
地方のホステルみたいな建物だけど、こういう彫刻を見ると、ここが宗教施設だということを感じる。
しばらくして、奥の方からベトナム人のシスターがベールを被らずに出てきた。
廊下に貼ってあった地図にピンが刺してあり、この修道院に来るシスターの出身地に印をつけているのだという。
日本には一つも刺さっていなかった。
この修道院は広い敷地に建っているけど、そこにたどり着くまでの細く長い通路がある。
その横は修道院ともキリスト教とも関係のない学校などの教育施設があったり、一軒家があったりと土地の使い方が不思議。
イーゴルと対面
30分後、イーゴルの家に戻ると、パートナーのアントネッラが出てきた。
彼女と話をしていると、スーパーで買い物をしていたイーゴルが戻ってきて久々に対面したのだが、正直なところ、妙にイラついている彼に少しがっかりしてしまった。
既に10歳になる娘がいるイーゴルは今の生活から遠い過去であるナポリ時代の知り合いが突然現れたところで、どうしていいのかわからなかったのだと思う。
そもそも、私たちはイーゴルの元カノの友達なので、パートナーの女性からしたら、思い出話なんて聞きたくないだろうし、娘の前で父親の若かった頃の知らない女性の話をされるのは迷惑でしかない。
それでも、夕食を食べて行くかすぐにに決めてほしいというので、私だけならお断りして帰るところをカミッラが再会を喜んでいるようなので、私がはっきりと食べて行く意思があることを伝えた。
冷凍の豚肉をグリルで焼いて出してくれたが、さすがに塊の肉は口に入れることができず、“パンだけ下さい”と言ってごまかし続けたが、カミッラによってヴィーガンであることがバラされてしまった。
庭で仕事をしていたイタリア人はイーゴルの幼馴染で、ナポリ大学に在籍していたらしく、思い出話をしたりしてしばらく過ごしていると、アントネッラが子供を寝かしつけると、テーブルを離れた。
すると・・・
“彼女たちはね、僕がサンドラと付き合っていた頃の知り合いで、ナポリでもオスロでも、サンドラのいるところにいた人たちなんだよ。”
と、急にフレンドリーに話し始めた。
やっぱり懐かしく思っていたのを家族に隠していたんだろう。
私たちの写真を撮ると、SNSでサンドラに送っていた。
真ん中の背の高いのがイーゴル
イーゴルは元プロバスケの選手だったのに、娘はそのことを知らなかったのはショックだった。
私はノルウェー人がゆとりを持って生活していることを知っていて、その生活スタイルに憧れているのだけど、イーゴルとアントネッラは生活に疲れているのが見えて一緒に食事していてものどにつかえそうな感じだった。
イーゴルが言うには、イタリアに住む両親との距離が遠く、娘と里帰りするだけで疲れると、疲れを癒しに休暇をとるのに、かえって疲れてしまうと言っていた。
この日は祝日だったが、毎日をこなすことが苦痛なのだと知ると、ユールンやオーレはどうしてあんなに毎日を丁寧に楽しく生きられるのだろうかと考えてしまった。
疲れていても、折角訪ねてきた友人を追い返さずに夕食に招待してくれるところはナポリ大学時代の名残だったのかなとも思う。
じゃあ、帰ろうか!
というので、イーゴル宅を後にして、ビシュレにあるカミッラのアパートに向かうと思いきや、ここで今度はオスロ市主催のオリエンテーリングのチェックポイントを探そうと、スマホにダウンロードしたオリエンテーリングマップを見ながら、ニダーレンに続くアーケルシェルバ川近くから獣道を歩き始めたカミッラ。
時刻は22時、まだ明るいけど、どう考えても立ち入りを禁止すべく設置されたフェンスの金網の破れたところを通り抜け、橋の流されてしまった小川を渡ってどんどん先に行ってしまった。
この時間に森の中、それも崖の側や急な坂道の真ん中に建てられている黒いチェックポイントを探して回るのはバカバカしくて、それ以上は付き合いきれず、途中で歩くのを止めた。
雨水が流れ、道がぬかるみ陥没している道を更に進むカミッラが、途中で道が無くなって戻ってくるだろうと、しばらく待っていたのだが、道のない森の中で一人というのは心細く、辺りは薄暗くなっていく。
聞こえないだろうが、お散歩コースになっている横の道へ戻ると叫んで、道を戻り、舗装された川沿いを歩き始めると、崖の上でカミッラが私を探しているのが見えた、川の水流が激しくどんなに叫んでも、聞こえてないようで、真っ暗にならないうちにとニダーレンの街を目指してひたすら歩いた。
この日、スマホとポケットWifiを持って来ていたら、すぐにでも電話なりメールなり森を出て家に向かっていることを知らせることが出来たのに。
しばらくどこかで合流できるのを期待したが、一度傾いた太陽に周りがどんどん青い闇に包まれていくような暗さが怖くなり、早く人のいる地域に出るべく、早足で進んでいった。ニダーレンまで何とか辿り着くと、来た道の曲がり角の視覚記憶もしっかり残っていたので、そのままアパートへ向かって歩いて到着することが出来た。
その間に、カミッラが私を探して森の中を彷徨っていたらどうしようとか、どうして道のない場所に勝手に入っていったのだろうとか、もう、奴のやることには付いていけないとか、イライラと不安で一杯だったのに、アパートの灯りを見たとき、私のネガティヴな感情が全て流され、お互い無事に戻って来れたことを喜んだ。
カミッラは私が道に迷ったのだろうと、いつか帰ってくると思っていたそうだが、徒歩でこんなに早く戻るとは思わなかったと言っていた。
レーネ・マリーとの待ち合わせが出来なかっただけで、一日がこんなにも盛りだくさんになってしまったが、それでも眠りについたのは12時過ぎだった。